ヴァイオリン音楽の歴史は約100年ごとに誕生した一人の偉大な存在によって発展の時を迎えてきました。300年前に誕生したバッハの無伴奏作品に始まり200年前のパガニーニ、そして100年前のイザイ、彼らがヴァイオリン音楽に残した功績と数百年にわたる歴史について考察します。(川畠成道・記) <演奏予定曲> ◆J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 第1楽章:Adagio 第2楽章:Fuga(Allegro) 第3楽章:Siciliana 第4楽章:Presto ◆パガニーニ:24のカプリースOp.1 第1番 ホ長調 ◆パガニーニ:24のカプリースOp.1 第5番 イ短調 ◆E.イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第4番 ホ短調 Op.27-4 第1楽章:Allemande 第2楽章:Sarabande 第3楽章:Finale (プログラムは変更になることもございます) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 待望の、川畠成道さんのレクチャー&コンサート! 華麗な演奏で、無伴奏ヴァイオリンの音色の響きを、たっぷりご堪能いただけます。 演奏家ならではの鋭い分析や音楽への思いなど、トークも楽しい90分です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
詳しく見る平曲とは「平家を語り、琵琶を弾じる。盲目の琵琶法師によって語り継がれてきた八百年続く日本の伝統文化」です。また、小泉八雲の怪談「耳なし芳一」の中で、芳一が平家の亡霊たちの前で弾き語っていたのが平曲です。能、狂言、浄瑠璃や歌舞伎といった伝統文化よりはるかに古く生まれ、日本の文化、語りの原点にあります。 平曲は平家物語しか語りません。平家物語の本来の姿は、琵琶法師によって語られるものです。平家の語りと琵琶の調べを通して、八百年の時の流れを感じるとともに、平家一門の優しさ、温かさや素晴らしさを感じ、また、日本語の美しさ、歴史や文化の大切さ、想像力の豊かさを体感してもらいたいと思います。 (講師記) ※演奏曲目は「祇園精舎」「敦盛最期」「那須与一」「先帝御入水」を予定しています。 (演目は変更する場合がございます。どうぞご了承のほどお願い申し上げます)
詳しく見る私は「どこ」から来て「どこ」へ行くのか。 私はどうして「いま」、「ここ」にいるのか。 仏教はこのような生死をめぐる問題に絶えず向かい合ってきました。 ブッダと弟子たちは、霊魂や生まれ変わりについて、どのように語ったのでしょうか。 大乗仏教では、成仏をめざす菩薩の生死が、どのように捉えられているのでしょうか。 この講座では、「苦しみを除き、安らぎを与える」という仏教の死生観について思想史的に考察します。(講師・記) <テーマ> 第 1 回: 2/16 13:30〜15:00 ブッダの涅槃―輪廻からの解脱― 第 2 回: 2/16 15:15〜16:45 大乗仏教の菩薩道―今ここに生きる―
詳しく見る国内外のコンクールで受賞、ソリストとして国内の主要オーケストラと多数共演し、オーケストラの客演首席も務めるなど、注目の若手ヴィオラ奏者の田原綾子さん。TV朝日「題名のない音楽会」や、NHK-BS「クラシック倶楽部」、NHK-BS「クラシック音楽館」、NHK-Eテレ「ららら♪クラシック」のメディアなどに多数出演し、活動の幅を広げています。 横浜教室、初めての登場となる今回は、ピアニストの原嶋唯さんと共に、ヴィオラの魅力を存分に、演奏とレクチャーでお届けします。豊かな音楽性と、またここでしか聞けない貴重なトークもお愉しみください。 【演奏予定曲目】 ブラームス ヴィオラソナタ第1番 作品120-1 ヴィオラソナタ第2番 作品120-2 ほか ※曲目は変更になる場合がございます。
詳しく見る琳派の装飾美・構成美の魅力は、東洋美術・日本美術の一つの美の頂点として常に国内外に高く評価されています。琳派はいわゆる家元制度ではなく、江戸時代初頭に登場した俵屋宗達を祖として、以後100年ほどおきに、尾形光琳(1600年代後半)や酒井抱一(1700年代後半)が時代を超えて現れ、「その作品に共鳴し、師に会えずとも自ら学び、引き継いで」きました。まさに個々の絵師が共鳴し築きあげられた美術運動体・スタイルと言えます。 現代性にも通ずる傑出した琳派の美学の謎を一緒に探り、楽しみましょう。 ■第一回 琳派の流れ、俵屋宗達の技法と本阿弥光悦との出会い ■第二回 尾形光琳の技法について、光琳から抱一へ ■第三回 酒井抱一と江戸琳派、現代絵画への継承【10分間の講師実演あり(予定)】 ・・・・・・・・・・・・・・・
詳しく見る相模・武蔵両国に跨がる現在の横浜市域は、鎌倉・小田原、さらに江戸にも近いこともあり、早くから様々な形での歴史が育まれてきました。その分、豊かな歴史が各所に数多く残っています。今回は市域の各所を「観光」という視点で捉え、中世から近世への市域の変遷を考えてみたいと思います。 中世末の南関東では、小田原北条氏の勢力が拡大すると、広範な領国内を支配するための交通体系が展開し、その後の徳川家康も、この体制を継承しました。江戸時代中頃から人々の活動範囲が広がると、さらに交通体系も整備されて、信仰を口実する「観光」ブームが到来します。このような動きが、現在でも見られる市内各所の多様な地域性を生み出すことになります。毎回、身近な地域の歴史に注視しながら、日本史の大きな流れの中で、市域が果たした役割などを考えてみたいと思います。 今回は、観光による「変わる横浜の形」を紹介しますが、市域の一部に関するものだけではなく、関東地方や日本の歴史に話しが及ぶこともあります。古文書・古記録(活字)や地図・絵図を用い、具体的に分かりやすく説明します。(講師・記) 写真:市場村(現・鶴見区西中町)の一里塚。周辺は鶴見川河口部の良き漁場であり、近世東海道の立場(たてば:継立場)として、宿場町の川崎宿や神奈川宿にも劣らない繁華街でした。 <各回のテーマ> 第1回 鶴見・生麦の村々 —近世東海道の立場(たてば)の村々— 第2回 芝生(しぼう)村と帷子の里 —河岸(かし)・保土ヶ谷宿の変貌— 第3回 本牧・磯子の村々 —北条氏の地域拠点から景勝地へ—
詳しく見る私たちは、数千億の星が集う「天の川銀河」に住んでいます。宇宙にはこうした銀河がさらに数えきれないほど存在します。銀河は衝突や合体を経て、また爆発的な星の誕生や中心に潜む巨大ブラックホールの影響を受けて、成長と進化を続けています。その過程はたいへん複雑かつ多様性にも富んでおり、だからこそこの宇宙を理解するうえで銀河は欠かせない存在です。本講座では、天の川銀河から100億光年以上彼方にある古代銀河に至るまで、様々な切り口による最新研究が明らかにしてきた銀河の素顔に迫ります。【監修:国立天文台 平松正顕・記】 【各回テーマ(予定)・担当講師】 ### 2/1:「銀河とは何か」 国立天文台天文情報センター講師 平松正顕 ### 2/15:「相互作用する兄弟銀河・大小マゼラン雲の成長」 名古屋大学大学院理学研究科准教授 立原研悟 ※リモート講演 ### 3/1:「銀河:星形成と宇宙進化をつなぐ結節点」 工学院大学 教育推進機構准教授 小麥真也 ### 3/15:「活動銀河核:成長中のモンスターブラックホール」 宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所宇宙航空プロジェクト研究員 小川翔司 ### 3/29:「銀河の個性は環境で決まる?:宇宙を支配する法則を探る」 早稲田大学高等研究所 准教授 嶋川里澄 ※2/15 立原講師はオンラインで登壇します。教室では、スクリーンに投影した映像を視聴いただきます。
詳しく見るヘボンはローマ字で知られた人物です。しかし、それ以外についてはあまり知られていません。 宣教師で医師でもあるヘボンは、1859(安政6)年にアメリカから来日し、1892(明治25)年に帰国するまで33年間、横浜に住み続けました。施療といって無料で診療し、多くの日本人を救いました。また、聖書翻訳のため日本語の勉強をするなかで、日本人が英語を、外国人が日本語を学ぶために便利な辞書を思いつき、『和英語林集成』という英和、和英辞典を編さんしました。この辞書は何度も版を重ね大正時代まで使われました。妻クララは「ミセス・ヘボンの学校」を営み、後に総理大臣になる高橋是清らもクララから英語を学びました。 ヘボン夫妻の生涯と、幕末から明治へと激動する時代に横浜で暮らした33年間の活動をたどります。今回は、「ヘボンのルーツ」と「西洋医学の父」についてお話しします。 第1回)「ヘボンのルーツ」 スコットランドから北アイルランド、そして米大陸へ入植するヘボン家のルーツを見ていきます。 第2回)「西洋医学の父」 ペンシルベニア医科大学卒業後、中国で伝道するが夫人の病気で撤退、ニューヨークで13年間医業に就き、名声を博しました。その後来日して施療を行い、医者を育て、何万人も診療して日本人を救いました。
詳しく見る『百人一首』は謎に満ちていて、しかもその魅力は今も私たちをひきつけてやみません。 まず、成立にまつわる諸説を整理し、全体を見わたしたうえで、奈良・平安・鎌倉時代から一首ずつ、以下の三首の和歌を取り上げ、新たな解釈を提示してみたいと思います。(講師・記) 【とりあげる三首】 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山(2番・持統天皇) ・・・暦の到来という時代背景から読み解きます。 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かげ(57番・紫式部) ・・・紫式部にとっての「月」の意味を検証します。 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも(93番・鎌倉右大臣) ・・・諸説を整理し、将軍の歌として読み直します。
詳しく見る「ユダヤ教の死生観はあまり論じられることがないのですが、なぜですか。」 これは、ある講義の最後に、受講生から受けた質問です。私の講義で、というより、一般的に受ける印象のようです。仏教はいうまでもないですし、キリスト教やイスラム教も、最後の審判や復活などを教義ではっきり主張しています。それに比べて、確かにユダヤ教では死生観を看板にしてはいません。ながく布教を禁じられたことの影響かもしれず、生きるのに精一杯で死後のことまで考えなかったのかもしれません。 そこで、ユダヤ教では人の一生について、死と死後について、伝統的にはどう教えられ信じられてきたのかを考えていきたいと思います。(講師・記)
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