【朝カルTimes:vol.4】『論語』は道しるべであり群像劇である(福岡)

『論語』と聞くと、なにやら上から目線の訓示めいたことが書き連ねてある、といった印象を持つ方もいるかも知れません。私もそう思っていました。しかし、「混迷の時代に理想の世の中を追求する孔子の思想は、現代人の心にも響きます。群像劇としても楽しめますよ」と、柴田篤講師(九州大学名誉教授)は語ります。どういうことでしょうか。(九州本部長・島ノ江正範)

掲載日:2024年7月9日

藤井聡太さんの「僥倖」も話題に

6月第1週の講座は、「雍也(ようや)」篇。福岡教室で15年目に入った柴田先生の論語講座は、見方を変えながら通読3巡目になりました。ずっと受講を続けている方もいます。配布資料には、柴田先生自身の解釈による読み下し文や現代語訳が載っていますが、「いまでも手直しを重ねています。他の先生方の解釈も紹介しますし、同じ章でも同じ講義内容にはなりませんね」。

第十九章にある「幸而免(幸いにしてまぬかるるなり)」の解説。「この幸は、たまたまうまくいくこと、という意味です。倖とも書きます。将棋の藤井聡太八冠(当時)がプロデビューから20連勝したときに、インタビューで『僥倖(ぎょうこう)』という言葉を使ってニュースになりました。自分の実力ではなく、たまたま運よく勝ったということでしょうか。普通の十代なら『ラッキーでした』というところだと思いますが……」。教室から笑いがもれました。

2500年前の中国と現代が重なる

講座をのぞいた後、柴田先生にお話をうかがいました。

――現代にあって、論語を読むことにどのような意義があるのでしょうか
孔子はおよそ2500年前の人です。当時の中国は春秋時代。その後の戦国時代にかけて多くの国が割拠して争い、先の見えない動乱の時代でした。孔子はそのような世にあって、過去に聖人が築いた理想の政治や制度、文化があったと考え、衰退した社会にそれを取り戻すにはどうすればよいかを説いた。個人を磨くことで全体をよくするという考え方で、特に為政者が自ら修養することで世の中全体をよいものにすることができると考えました。

論語に出てくる「仁」「徳」「礼」などは、当時の世の中に欠けていたからこそ孔子が説いた。先行き不安な混迷期というのは、今の世界に重なります。私は、常に我々の進むべき道を示し、導いてくれるのが古典だと思っていますが、その代表が論語です。論語に説かれていることがすべて正しい訳ではありません。都合よく解釈されて、封建主義道徳とされたり、軍国主義に利用されたりした面もあります。しかし、いまだからこそ人はいかに生きていくべきかを示す道しるべとして大切な存在だと思います。

日本人の日常に生きている言葉

――現代の日本に暮らす我々にとって、論語はどういう存在でしょうか
受講者から「論語の言葉は胸に響きます」といった感想がありました。年配の方が多く、いまの最高齢は90歳代です。さまざまな経験を積んできた方が論語に接して、じっくりと読んで聴いて感じとるものがあるのだと思います。

論語は古来、日本人が最も親しんできた書物です。歴史的にみても、江戸時代の民衆の多くが素読により漢文で書かれた書物を学びましたが、テキストの中心は論語でした。いまに続く日本人の文化や道徳をかたちづくるうえで、論語は欠かせない存在だったのです。「一貫」とか「不惑」、「義を見てせざるは勇なきなり」といったどこかで聞いた言葉の出典は論語が多い。いわば日本人のDNAに刻み込まれているように思えます。アフガニスタンで銃弾に倒れた中村哲医師は、素読を受けて「論語は人が当然守るべきルールを説くものとして身についていた」と書いています。特段の意識はなくても、我々の日々の生き方の中に論語は生きているのです。

簡潔な問答に表れる感情のひだ

――柴田先生にとって、論語の魅力とは
固有名詞がほとんど出てこない『老子』などと違い、論語には100人以上もの人名が出てきます。孔子と門人だけでなく、時の君主や権力者から過去の著名人や伝説の帝王まで登場します。弟子の子路のように、何十回も登場する人もいます。孔子と門人との問答だけでなく、権力者からの問いに孔子がチクリと切り返したり、けっこう厳しい発言をしたりもします。それぞれのくだりは断片的といえるほど簡潔ですが、読み込んで解釈していくと、登場人物たちの感情のひだも豊かに伝わり、人間ドラマ・群像劇が見えてくるのです。短い問答の中に人間のさまざまな姿が表れていて、とても面白いです。

講座を始めた当初、私自身は群像劇としての面白さにそれほど重きを置いていませんでした。講座を進めるうちに新たな面に気づき、孔子本人や弟子の顔淵、子貢、子路ら個々の登場人物に焦点をあてた特別講座も年に1回は開いています。今では受講者と一緒に楽しみながら読み直している感覚です。論語にはまだまだ面白い切り口がたくさんあります。ぜひご一緒に探究していきましょう。

最後にひとつだけ。日本語・日本文は漢字なしではありえませんが、漢文と聞くとあとずさりをする人もいます。この講座では論語を読みながら毎回、漢文のイロハが学べます。論語と共に、漢文を読むことがきっと好きになりますよ。

講師プロフィール

柴田 篤

柴田 篤(しばた・あつし)

九州大学名誉教授 九州大学文学部卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。九州大学助手、福岡教育大学助教授を経て、九州大学文学部(中国哲学史講座)教授、同大学院教授。九州大学大学院人文科学研究院長、同人文科学府長、同文学部長等を歴任。現在、九州大学名誉教授。専攻分野は中国哲学史。特に中国近世儒学思想(朱子学・陽明学)及び日本におけるその展開、また明末清初における天主教(カトリック)と中国思想との対話などを研究。著述は、『中村惕斎』(叢書・日本の思想家11、明徳出版社、1983)、『天主実義』訳注(東洋文庫728、平凡社、2004)など。

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