奈良時代の733(天平5)年に成立した『出雲国風土記』には、古代出雲を生きた人々のなりわいや村の様子、自然などが生き生きと記されています。驚くべきことに『出雲国風土記』の記述を彷彿とさせるような景観は、今も島根県出雲地方のあちこちに残されているのです。『出雲国風土記』を片手に出雲各地を訪ねることにより、一般的な観光旅行とはひと味違った独自のツーリズムが可能となるでしょう。それは古代出雲への旅。この講座では、あなたに素顔の古代出雲を見つめていただきたいと思います。4月の意宇郡・島根郡・秋鹿郡に引き続き、今度は楯縫郡・出雲郡・神門郡を取り上げます。これらの郡のすべてを取り上げるのではなく、トピック的に1つの条文を取り上げて深掘りします。今回から初めて参加される方も大丈夫。さあ、古代出雲へとタイムスリップしましょう。(講師・記) 〈カリキュラム〉 第1回 カンナビの世界 カンナビとは、神の籠もる場所。古代出雲にはあたかも宍道湖を取り囲むように4つのカンナビがありました。その1つ、楯縫郡の神名樋山、その山頂の西側には石神があったと風土記には書かれています。実際に現地を踏査すると神が降り立つ磐座を思わせる巨岩とたくさんの石を確認することができるのです。古代出雲人のカンナビに寄せる思いについて風土記を読み解きながら考えてみましょう。 第2回 イヅモのタケル 荒神谷遺跡の近くに存在した出雲郡健部(建部)郷。そこは、風土記によれば、もともと宇夜里という地名でした。ところが、景行天皇がヤマトタケルにちなんで健部(建部郷)という地名に変更したというのです。地名は、地域の歴史を体現しています。『出雲国風土記』の地名起源伝承は、ほとんど神によるものなのに、どうしてここだけ天皇が出てくるのでしょうか?地名起源伝承の背後にどのような歴史があったのか、考えてみましょう。 第3回 イヅモとコシ 神門郡古志郷の地名の由来は、コシ(古志)の国から人々がやって来て堤を築いたことにあると言われています。この記述から、古代におけるイヅモとコシとの交流の可能性が浮かび上がってきます。実際にその交流の事実を裏付けるような考古学的発見もなされています。古代イヅモの歴史は、ヤマトとの関係ではなく、コシやツクシなど日本海文化圏の中で考える必要があるのです。古代出雲の壮大なる交流の一端に迫ってみましょう。
森田 喜久男:もりた・きくお 淑徳⼤学教授。1964年生まれ。高校までを金沢市で過ごす。國學院大學文学部史学科卒業。千葉大学大学院文学研究科修士課程修了。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(歴史学・駒澤大学)島根県古代文化センター、島根県立古代出雲歴史博物館を経て、淑徳大学人文学部教授。日本古代史・神話学・博物館学専攻。山陰・北陸をフィールドとする古代史研究に取り組んできた。現在は、ヤマタノオロチ神話の舞台として、中国山地一帯に注目し、スサノオ神話の本来の姿の再現を目指している。著書に『日本古代の王権と山野河海』(吉川弘文館)、『やさしく学べる古事記講座』(ハーベスト出版)、『古代王権と出雲』(同成社)、『能登・加賀立国と地域社会』(同成社)など。
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