古代国家の成立過程において、ヤマト王権はどのような形で各地を支配したのか。この点については、議論が分かれるところです。『古事記』や『日本書紀』によれば、崇神天皇の時に四道に将軍が派遣され、景行天皇の時にヤマトタケルが熊襲や蝦夷を平定したと書かれています。また継体天皇の時に、筑紫において磐井が反乱を起こしたという伝承もあります。さらに細かく見ていくと、崇神天皇の時に、王権側が出雲の大神の神宝を検校しようとして一悶着があった話、吉備臣が雄略天皇に反抗した話もあります。 これらの伝承の背後に何らかの史実が隠されているのではないか、そう思いたくなりますが、実は看過できない問題が潜んでいます。果たして、ヤマトVSイヅモ ヤマトVSキビ ヤマトVSツクシ といった具合に対立の構図を描くことができるのか? たとえば、戦国時代を思い出してください。合戦の舞台裏に調略が渦巻き、裏切りによって勝利する。そういう場面がありましたよね。 この講座では、中央政権 VS 地域勢力 といった単純な理解に終わらせず、ヤマト王権に対峙した地域社会の多様な側面に注目します。検討を深めていくことで、一見すると不可解な現代政治のありようを理解する第一歩としていただければ幸いです。(講師・記) 〈カリキュラム〉 【第1回 ヤマト王権とイヅモ】 『古事記』の神話の3分の1を占める出雲系神話、大量の青銅器、出雲大社の巨大な本殿等々、古代出雲は特異な地域です。国譲り神話の舞台ともされたイヅモ。ひょっとしてヤマトに匹敵する王朝があったのではないか、と考えたくなりますが、ちょっと待ってください。実は、古代出雲には、松江市域から安来市域にかけて広がっていた東部出雲の政治勢力、出雲市域一帯に広がっていた西部出雲の政治勢力、さらには出雲山間部の政治勢力などが分立していました。ヤマト王権はどのような形でイヅモを支配したのでしょうか? 【第2回 ヤマト王権とキビ】 『日本書紀』の雄略紀に見えるキビの反乱伝承を見ていくと、その当事者はいずれも「吉備○○臣」です。「吉備臣」ではない点が気になるところです。また、キビの巨大古墳の位置、それらが単なる平野部ではなく、河川や道路など交通の要衝に分布している点が気にかかります。果たして、キビの巨大古墳の被葬者は、ヤマトに対抗するような存在だったのでしょうか? 【第3回 ヤマト王権とツクシ】 継体天皇の時にツクシを舞台として勃発した磐井の乱。磐井は、ツクシの王としてヤマト王権と対峙したというイメージでとらえられがちです。しかし、ツクシは本当に一枚岩だったのか。たとえば、宗像君・水沼君などはどうだったのでしょうか。仲哀紀に登場する北九州の県主も気になる存在です。果たしてツクシ王国はあったのでしょうか?
森田 喜久男:もりた・きくお 淑徳⼤学教授。1964年生まれ。高校までを金沢市で過ごす。國學院大學文学部史学科卒業。千葉大学大学院文学研究科修士課程修了。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(歴史学・駒澤大学)島根県古代文化センター、島根県立古代出雲歴史博物館を経て、淑徳大学人文学部教授。日本古代史・神話学・博物館学専攻。山陰・北陸をフィールドとする古代史研究に取り組んできた。現在は、ヤマタノオロチ神話の舞台として、中国山地一帯に注目し、スサノオ神話の本来の姿の再現を目指している。著書に『日本古代の王権と山野河海』(吉川弘文館)、『やさしく学べる古事記講座』(ハーベスト出版)、『古代王権と出雲』(同成社)、『能登・加賀立国と地域社会』(同成社)など。
筆記用具
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