『平家物語』に登場する平清盛らを中心に、貴族社会から武家社会という激動期を生きた人々の知恵を読み解きます。平明でわかりやすいテキストを使い、丁寧にご説明いたしますので、初めての方でも安心して受講していただけます。長きに渡り読み継がれた古典文学を通して、コロナ禍を生きるヒントを見つけてみませんか。 ※『平家物語』の「百二十句本」(「 新潮日本古典集成 」の底本)を読みます。 [7月期] 1)7/24 巻第六 第五十二句 紅葉の巻 高倉上皇は賢王として仁政を施したが、幼少期から柔和な性格であった。十歳の頃には、たいそう紅葉を好み、内裏に櫨や楓などの色鮮やかに紅葉する木を植えた小山を造らせた。強風が吹いた翌朝、散った紅葉を清掃役の下部が掃き集め、酒を温める薪にしたことがあった。それを知った蔵人業忠は青ざめて恐れたが、高倉天皇は、漢詩の心を誰が下部に教えたのか風流なことだと咎めることはなかった。 2)8/28 巻第六 第五十三句 葵の女御 中宮徳子に仕えていた葵の前は、高倉天皇の寵愛を受け、人々は「葵の女御」と呼んだ。これを知った帝は世のそしりを憚り、葵の前を呼ばなくなった。しかし帝は葵の前を忘れられず、帝の気持ちを知った葵の前は思いが募って死んでしまう。帝の気持ちを慰めようと、中宮徳子は小督という女性を差し向けた。小督は、高倉天皇と隆房という清盛のふたりの婿に恋慕され、やむを得ず内裏から姿を消す。 3)9/25 巻第六 第五十四句 義仲謀叛 信濃国に木曾冠者義仲という者がいた。父は、義朝の弟義賢だが、頼朝の兄悪源太義平に討たれたため、義仲は幼くして信濃に逃れ、今井兼平の父でもある中原兼遠のもとで二十四年間育てられた。清盛は義仲を侮っていたが、不安に思う人も多かった。 治承五年(1181)二月、都に近い河内国、続いて九州でも平家に背く者が続出し、熊野の別当湛増までも源氏に付いた。そこで、宗盛は自ら東国へ出陣することを宣言した。 ※1回体験を受講後、定期講座にお申し込みいただくと、入会金5,500円が半額になり、会員料金でご受講いただけます。 70歳以上の方は入会金無料です。
寺 直子:甲南女子大学非常勤講師 1975年生。甲南女子大学文学部人文学科総合研究科 博士後期課程日本文学専攻満期退学。宮城県立泉松陵高校で講師を務めていたが、東日本大震災後に大阪へ移住し現職に就く。
筆記用具 教材として資料をお配りする場合実費をいただきます(1枚20円)。 テキストについては教室にてご案内します。 ※設備費は教室維持費です