朝鮮半島の南西部にあった馬韓は50余国からなり、大国は万余家、小国は数千家で、10余万戸とされます。馬韓の月支国を王都として三韓を統治した辰王が存在したと伝えています。 江上波夫先生は、辰王は弁辰の地を支配した、征服王朝的性格の強い王で、辰王の子孫ないし後継者が崇神らの天孫族で、彼らが加羅を作戦基地として、筑紫に侵冦したのが、崇神の肇国事業、ニニギノミコトの天孫降臨であると論じました。江上説を批判したのが武田幸男先生で、辰王は3世紀の三韓に実在した馬韓人の王で、都は馬韓の月支国におき、配下の臣智に伝統的な称号をあたえ、官爵は魏の体系をつかい、辰韓・弁韓の小国を従え、外交や調整に影響力を及ぼしたとのべています。3世紀初頭、公孫氏は帯方郡を新設し、辰王を介して韓族統治に乗りだしたと考えました。公孫氏の滅亡後、246 年には臣濆活国が中心になって帯方郡を攻撃しましたが、那奚国など数十国が降服し、「二郡遂滅韓」と記録され、辰王政権は断絶しました。卑弥呼の出現背景を考える上で参考になります。 倭国から帯方・楽浪・遼東郡に至るには、馬韓を経由する必要があります。馬韓の北部は4世紀に伯済国によって統一され、百済となりますが、南部は5〜6世紀まで馬韓社会が残りました。 なお清州清堂洞遺跡では、土壙墓に多数の馬形帯鉤が副葬されていましたが、この馬形帯鉤こそ、馬韓を特徴付ける遺物と考えられ、日本でも、長野県の浅川扇状地遺跡まで到達し、馬韓と倭の通交を暗示します。 馬韓系土器は壱岐原ノ辻遺跡・対馬大将軍山古墳など島嶼部に集中するほか、福岡市西新町遺跡・箱崎遺跡、岡山県上東遺跡、鳥取県青木稲場遺跡、大阪府加美遺跡でも見つかっています。馬韓と倭国の関係について考えます。
桃ア 祐輔:福岡大学人文学部歴史学科教授 1967年(昭和42年)3月12日生まれ。福岡大学人文学部教授(考古学) 福岡県福岡市出身 筑波大学大学院歴史・人類学研究科文化人類学専攻を単位取得退学。東京国立博物館事務補佐員、筑波大学助手を経て2004年に福岡大学に着任。2018年に中国社会科学院考古研究所・吉林大学・西北大学で1年間の在外研究に従事。ユーラシア騎馬文化・中近世仏教考古学が専門で「中世とは何か」の解明をめざす。 主な著作に「高句麗太王陵出土瓦・馬具からみた好太王陵説の評価」(『海と考古学』2005)、「七支刀の金象嵌銘技術にみる中国尚方の影響」『文化財と技術 4』2005)、「中世棒状鉄素材に関する基礎的研究」(『七隈史学』第10号)、「九州の屯倉研究入門」(『還暦、還暦?、還暦!』2010)、「九州出土子持勾玉研究入門」(『福岡大学考古学論集2』2013)、桃崎祐輔「騎馬文化の拡散と農耕文明との融合−江上騎馬民族征服王朝説が描く文化融合モデルとその今日的意義−」(『今、騎馬民族説を見直す』2014)「山の神古墳出土馬具の検討―2セットのf字形鏡板付轡・扁円剣菱形杏葉の年代とその意義―」(『山の神古墳の研究』2015)「金属容器」(『モノと技術の古代史 金属編』2017)「英彦山信仰遺跡と遺物からみた英彦山の歴史」(『英彦山の宗教民俗と文化資源』2017)など
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