良く言えば重厚、少し皮肉に見れば「じじむさい」(最初英文学に関心あった象徴人類学者山口昌男氏の評)と言われた頃の英文学と1970年代に出会った高山宏は脱専門化と批評方法論が人文(に限らず全学問)の「今」と化したその10年、文芸の「ザ・ピクチャレスク」、方法論の「マニエリスム」(マナリズム)という二大観念の「ヒストリー・オヴ・アイディアズ(観念史)」なる少々大き過ぎてとても一個人、一潮流の手には余る異世界に覚醒してしまった。最初期の観念史が多彩な「近代」の諸々の観念の出発点としてみたのが17世紀前半から18世紀一杯の英国という偶然事が幸いして、高山英文学は新しい英文学の視野と方法を勝ちとったという有難い評価を得た(と思う)。昨年の日本英文学会全国大会の特別講演にてそうした顛末は詳しく話した。そういうタイミングの今対談だ。 が、或る地点で自分が最初とか(多分誤って)思っていた新しい英文学の歴史観なり方法論を百二十年も前に自らの財産として既に獲得していた人物がいたということに驚愕した。それが名雑誌『漱石研究』の『虞美人草』論鼎談に小森陽一・石原千秋両御大家に招かれてピクチャレスク論を展開した時のこと。新英文学の知見が、自ら学んでそうした教養を身につけたいち日本人にも完璧に当て嵌ることを座談の最中に高山はゆっくりと発見していったことになる。漱石の風景観(南画等ではなく、はっきりザ・ピクチャレスク)、言語観(言文一致運動というよりはっきり17世紀英国淵源の「ユニヴァーサル・ランゲージ」)、理論化趣味(ヘンリー・ジェイムズのそれにも匹敵する「テオーリア(セオリー)」のマニエリスム)等々。17世紀ボヘミア(現チェコ)にも通じ、エスぺランティスト・二葉亭四迷にも通じた小森陽一氏以外に漱石マニエリストのこうした問題を語り合える相手は、英文科にも、(残念ながら)国文科にもいない。(高山講師・記)
高山 宏:翻訳家 1947年岩手県生れ。やっと一介の翻訳家。『アレハンドリア アリス狩りX』、『鎮魂譜 アリス狩りZ』(青土社2022)等著書多数、『アルチンボルド』(ジャンカルロ・マイオリーノ)、キャロル『鏡の国のアリス』佐々木マキ・絵、高山宏・訳(亜紀書房)、マガイアー『ボーリンゲン』(白水社)、スウィフト「ガリヴァー旅行記」(英国十八世紀文学叢書2・研究社)等訳書多数。当面、澁澤魔学の出発点、J・ブースケ『マニエリスム芸術』邦訳とたかや魔学の着地点、アンドレアス・キルヒャーの『マテーシスとポイエーシス』邦訳に専念。そして悲願のホッケ『迷宮としての世界』英訳、ジョスリン・ゴドウィン英訳『ポリフィロス狂恋夢』(敢えての)重訳(2003年内刊)、フランチェスコ・コロンナ『ポリフィロの夢』重訳(東洋書林)。生涯現役!
小森 陽一:こもり・よういち 東京大学名誉教授 1953年生まれ。北海道大学大学院文学研究科修了。成城大学文学部助教授、東京大学助教授・教授を経て現職。著書に『構造としての語り』(新曜社)、『読むための理論 文学・思想・批評』(世織書房)『知の技法』(共著・東京大学出版会)、『ことばの力・平和の力 近代日本文学と日本国憲法』(かもがわ出版)、『難民(思考のフロンティア)』(共著・岩波書店)、『戦後日本は戦争をしてきた』(共著・角川書店)、『理不尽社会に言葉の力を』『戦争への想像力』『生きさせる思想−記憶の解析・生存の肯定』(新日本出版社)、『天皇の玉音放送』(朝日新聞出版)、『漱石論 21世紀を生き延びるために』(岩波書店) 、『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』(共著・青弓社)、『壊れゆく世界と時代の課題』(共著・岩波書店)などがある。
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