社会学・哲学・宗教・歴史・文化など幅広い対象に鋭く切り込む著作を発表する講師。現代社会をいかに論じるべきか、自身の関心のありかを語ります。 ◆◇今回のテーマ◆◇ 今回の「現代社会論」は、「高市自民党」の大勝利の意味について論ずることを期待されている方もいるかもしれませんが、この問題について論ずるのは、また別の機会(近いうち)にいたします。 今回は、AIを題材にして,また哲学的な問題について論じます。主題は、「AIは考えうるか?」です。 生成AIを使っていると、AIがまるで意識をもっている、心をもっている、かのように感じます。しかし、その仕組みから考えて、AIが意識や感情をもっている、と考えるのは、今のところまったくナンセンスです。 しかし、意識をもつかどうかは別として、AIは考えているのか? 私たち人間と同じように考えているのか? こう問うことのほんとうの狙いは、AIではなく、人間の方にあります。AIと対照させることで、人間が、言語を通じて/言語において、考えるということは、どういうことなのかを、考えてみたいのです。人間の思考というものが、実はとてつもなく奇妙で、神秘的な現象である、ということを示唆することになるでしょう。 先に言っておきますが、「人間の思考は、AIとちがってほんとうの創造性がある」とか「人間の思考には、真の精神性が宿っている」とか、といった回答は禁じ手です。この回答は、はじめから人間の方を勝たせることに決めた上で、AIと人間を競わせる八百長のようなものです。こんな八百長をやっても、認識上の利得はなにひとつありません。 今回のテーマは、実は、主にデカルトと結び付けられている哲学的な問題と関係があります。デカルトは『省察』の中で、「私の外部世界についての知覚や感覚は実は錯覚ではないか? 錯覚ではないとどうしてわかるのか? 私はほんとうは夢の中にいるのではないか? 邪な霊が私をだまして、『これ』が外的な実在だと思わせているだけかもしれない」という懐疑と格闘しています。このデカルトの懐疑と、今回のテーマは直結しています。(20260225/講師・記)
大澤 真幸:社会学者 1958年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。著書に『虚構の時代の果て』(ちくま新書)、『恋愛の不可能性について』(春秋社)、『電子メディア論―身体のメディア的変容』(新曜社)、『戦後の思想空間』(ちくま新書)、『<不気味なもの>の政治学』(新書館)、『ナショナリズム論の名著50』(平凡社)、『文明の内なる衝撃』(NHKブックス)、『自由を考える』(共著・NHKブックス)、『ナショナリズムの由来』(講談社)、『逆説の民主主義』(角川書店)、『不可能性の時代』(岩波書店)、『<自由>の条件』(講談社)など多数。 公式サイト http://osawa-masachi.com/
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