中央からみた地方≠フ視点で語られることが多かったヤマト政権の九州支配。しかし古墳を分析すると、九州には畿内と明らかに異なる古墳文化がありました。大陸に近い地理的な特性もあり、九州内でも地域によってヤマト政権との距離・付き合い方はさまざま。初期前方後円墳の時代から古墳時代終末期にかけて、九州各地の中央との関わりの変化を探り、「記紀」の記載の深層に迫ります。(講師・記) 【カリキュラム】 2025年10月〜2026年3月 第1回(10月) 「九州古墳時代開始とヤマト政権」 3世紀中ごろ、畿内でヤマト連合政権が出現し、「北部九州をヤマト政権が支配した」と説明されてきた。それは本当だろうか。ヤマト政権は鉄の素材を入手するため、北部九州の豪族に協力を求めたのではないか。出土する「威信財」を根拠に考察する。 第2回(11月) 「朝鮮半島出兵と沖ノ島国家型祭祀」 泰和4(379)年、百済の省古王が対高句麗のため救援を求めてきた。ヤマト政権は北部九州諸豪族に出兵を要請。このことは諸豪族がヤマト政権の完全な配下ではなく、独立した協力関係にあったからではないか。具体的な考古学遺物から証明したい。 第3回(12月) 「河内政権と九州の豪族」 5世紀は、伝応神・仁徳天皇陵古墳といった世界最大級の古墳とともに500領以上の鉄製甲冑が作られた時代でもある。こうした時代の背景とともに、九州各地の豪族たちの割拠状況、ヤマト政権との関りについて考察する。 第4回(1月) 「吉備の反乱と九州、ヤマト政権」 全長350mの吉備・造山古墳は、仁徳・応神・履中陵につぐ4番目の大古墳である。5世紀後半の反乱伝承、阿蘇凝灰岩製家形石棺、千足古墳の肥後型石室と九州との関りなど、石室・出土遺物から考察する。 第5回(2月) 「装飾古墳とヤマト政権」 装飾古墳は全国に850基余あり、九州で450基余が確認されている。装飾古墳の発生、展開および各豪族との関係を石室・文様などの分布から分析し、ヤマト政権との関りについて考察する。 第6回(3月) 「終末期群集墓とヤマト政権」 古墳時代の墳墓には、古墳・横穴墓・積石塚などがあり、それらが九州内や沿岸部に分布し、しかも100基以上の群集墓で展開しており、古くは渡来系墳墓などいわれてきた。九州各地の終末期群集墓とヤマト政権との関りについて私見を述べたい。 ☆各回申し込みも出来ます。リンクは別にあります。入会金は不要です。 各回申し込みは、9月1日から受付開始します。 会員の方 3,850円、一般の方 4,620円
宇野 愼敏:前行橋市歴史資料館館長 1976(昭和51)年関西大学文学部史学科卒業、1979(昭和54)年(財)北九州市教育文化事業団(現在の(公財)北九州市芸術文化振興財団)埋蔵文化調査室学芸員を平成31年3月退職。令和5年3月末まで行橋市歴史資料館館長。2003(平成15)年学生社より『九州古墳時代の研究』出版。2004(平成16)年 博士(文学)学位取得。2022(令和4)年(特定非営利活動法人)元北九州市の文化財を守る会理事長、元福岡大学・北九州市立大学非常勤講師。
持参品:筆記用具 ※設備費は、教室維持費です。
Zoomウェビナーを使用した、教室でもオンラインでも受講できる自由選択講座です(講師は教室)。見逃し配信(2週間限定)はマイページにアップします。各自ご確認ください。お問合せはkk9mo@asahiculture.comで承ります。