戦後の横浜は、接収解除、米軍施設の返還が遅れ、戦後復興が最も遅れた大都市といわれる。そうした課題の中、1963(昭和38)年に誕生したのが飛鳥田市政であった。やがて飛鳥田市政は、高度経済成長のひずみと闘うという役割を担うことになる。革新市政のリーダーとして、市民に開かれた市政を目指し、公害対策を推進したが、住民と対立する場面もあった。一方、在職15年の間には、戦後横浜の都市計画の集大成として、6大事業を実施し、現在の横浜の基盤を築くことになる。こうした飛鳥田市政の歴史的役割を考えると共に、飛鳥田一雄という人物を、市政を担った人びとや対立した住民運動のリーダーなど多彩な人物の中で浮かび上がらせる。 *
羽田 博昭:明治大学大学院文学研究科史学専攻修了、北区史編纂および横浜市史編集に携わった後、横浜市史資料室調査研究員、2024年3月退職、専門は日本近現代史、飛鳥田一雄とそのブレーンであった鳴海正泰や田村明の残した資料の調査に携わった。
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