『出雲国風土記』と聞いて、何を思い浮かべますか。出雲の古代史に興味を持つ人なら、国引き神話を挙げるかも知れません。海の向こうから余った土地を神様が引っ張ってきて縫い付け、出雲を大きくしたという神話です。このように、『出雲国風土記』には個性豊かな神話が登場しますが、実は、その神話は古代出雲の景観と深く結びついています。もっと言ってしまえば、古代出雲の豊かな自然が独特の神話を生み出したのです。 この講座では、『出雲国風土記』に記された神社や山、野、川、海などに注目し、現地の景観を意識しながら『出雲国風土記』を読み解いていきたいと思います。前回は秋鹿郡と楯縫郡を取り上げましたので、今回は出雲郡、神門郡、石郡を取り上げます。この3つの郡は、出雲国の西部から山間部に相当しますが、そこは杵築大社(出雲大社)が存在し、神話にまつわる重要な空間でもあります。 この講座を受講された皆さんが、出雲へ出かけられた時、観光地だけではなく、本当の古代出雲の遺産、つまり今も島根県に残る風土記が書かれた時代以来の豊かな自然の魅力を存分に味わうことができるような鋭敏な感覚を身につけていただくこと。それが私に与えられたミッションなのです。(講師・記) <カリキュラム(予定)> 第1回 出雲大社と日御碕 国引きの神様が、海の向こうの朝鮮半島から「国来、国来」と言いながら最初に引っ張ってきたのは、「杵築御碕」です。そこには、出雲大社と日御碕神社という出雲を代表する神社があります。これらの神社は『出雲国風土記』ではどのような描かれ方をしているのでしょうか?『古事記』や『日本書紀』とは異なる二つの神社の姿に迫ります。 第2回 「薗の松山」に生きる人々 国引きの神様は、海の向こうから「杵築御碕」を引っ張ってきた時に用いた綱は、「薗の長浜」になったと『出雲国風土記』には書かれています。ところが『出雲国風土記』では国引き神話とは別の箇所で、「薗の長浜」のことを「薗の松山」とも記しています。そこは砂塵が舞い、松はやがて埋もれてしまうだろうと『出雲国風土記』は書いていますが、果たして「薗の松山」は荒涼たる空間であったのか。最近の考古学的調査はそのような見方に修正を迫っています。 第3回 スサノオのお気に入り-須佐神社- 出雲国内を巡行していたスサノオは、飯石郡須佐郷の地にやって来て、「ここは小さいけれども良い国だ」とすっかり気に入り、この地に宮を立てて鎮座することにしました。この時、スサノオは「大須佐田」・「小須佐田」といった水田を切り開いています。スサノオを引きつけた出雲山間部とはどのような場所だったのでしょうか。 写真は、須佐神社・本殿
森田 喜久男:もりた・きくお 淑徳⼤学教授。1964年生まれ。高校までを金沢市で過ごす。國學院大學文学部史学科卒業。千葉大学大学院文学研究科修士課程修了。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(歴史学・駒澤大学)島根県古代文化センター、島根県立古代出雲歴史博物館を経て、淑徳大学人文学部教授。日本古代史・神話学・博物館学専攻。山陰・北陸をフィールドとする古代史研究に取り組んできた。現在は、ヤマタノオロチ神話の舞台として、中国山地一帯に注目し、スサノオ神話の本来の姿の再現を目指している。著書に『日本古代の王権と山野河海』(吉川弘文館)、『やさしく学べる古事記講座』(ハーベスト出版)、『古代王権と出雲』(同成社)、『能登・加賀立国と地域社会』(同成社)など。
【振替日決定】10/4休講分の振替は、12/6(土)に行います。(10/13付) ・Zoomウェビナーを使用した、教室でもオンラインでも受講できる自由選択講座です(講師は教室)。見逃し配信(2週間限定)はマイページにアップします。各自ご確認ください。お問合せはtc9acc2@asahiculture.comで承ります。