旅に一生を送った芭蕉がついに書けなかった紀行文があります。亡くなる元禄七年の手紙で、健康に恵まれたら「四国を経て西国へ」旅をするつもりだと告げているのです。自らの代表作になった『奥のほそ道』にならぶ「西国編」ともいえる紀行文を、芭蕉は書くつもりでいたのです。体力の急速な衰えにあって芭蕉の願いは叶いません。しかし衰えていく身体のなかで芭蕉の感覚はかつてないほどに冴え渡っていきます。別れた妻の死をいたむ初盆の句は日本文学史の記念碑ともいえる作品です。弟子たちの不和を仲裁するために赴き、亡くなるまでの一月あまりの大坂滞在も不朽の名句の数々に記録されました。最後の半年の芭蕉に寄り添う講座です。
光田 和伸:「桂の会」主宰 1951年生。京都大学国文・ドイツ文学科卒業。同大学助手・武庫川女子大学助教授を経て1995年4月〜2016年3月まで国際日本文化研究センター研究員。著書に『平野法楽連歌』(和泉書院・共著)『竹林抄』(岩波書店・共著)など。
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