勧修寺晴豊(1544〜1603)は、武家と朝廷との交渉を仲介する武家伝奏を務めた公家で、織田信長・豊臣秀吉らとも深く交流しました。また、晴豊の妹晴子は後陽成天皇の母親です。したがって、その日記は、16世紀後半期の政治・社会・文化状況を知る一級史料といえます。 今期も引き続き、天正10年記を読み進めます。勧修寺晴豊の日記は天正10年秋の分(7〜9月)の分が残っておらず、また冬分も10月15日までしかありません。日記には「本能寺の変」後の京都の情勢(信長葬儀・贈位増官、本願寺顕如・教如和解など)が記されています。欠けている秋分と冬分を補うために、晴豊の日記以外の史料も交えながら進めていきます。(4月期から初めて参加される皆さんにもわかりやすくお話していきます。) ★勧修寺晴豊ってどんな人?【動画】⇒ https://youtu.be/a1r9yr9Prlw
外岡 愼一郎:元奈良大学文学部史学科教授 文明開化の風薫る横浜で生まれ、日本海の風吹き寄せる敦賀で小さな大学の教員となり、博物館でも仕事をしました。その時、その場、その人に寄り添う歴史研究を心がけています。
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