治承四年(一一八〇)十月六日の源頼朝鎌倉入りから数えて一五三年の後、元弘三年(一三三三)五月二十二日、鎌倉幕府は滅びました。鎌倉・室町・江戸の三つの幕府の内、真に滅亡≠ニ言い得る壮絶な最後を遂げたのは、鎌倉幕府だけです。鎌倉幕府滅亡の原因について、お話したいと思っています。 第1回 「@鎌倉幕府政治体制の変遷」 鎌倉幕府の政治体制は、将軍(鎌倉殿)独裁・執権政治・得宗専制の三段階で理解されています。滅亡の前提となる政治体制の変遷について解説致します。 第2回 「A得宗専制政治」 得宗とは鎌倉北条氏の家長です。得宗専制政治は、第一段階「北条時宗独裁」・第二段階「寄合合議制」に分けられ、滅亡時の体制は第二段階にあたります。 第3回 「B特権的支配層 ─ 武士の貴族 ─ 」 鎌倉幕府の構成員である御家人は将軍の家臣として平等でありました。しかし、鎌倉末期には、御家人の中に「武士の貴族」と呼ぶべき上級御家人が現れます。 ――――――――――― ※第4回からは、7月期(2025年5月ごろ受付開始) 第4回 「C特権的支配層の実態」 「武士の貴族」である特権的支配層は政治的・経済的にどのような特権を持っていたのか、そしてどのように幕府を支配したのでしょうか。 第5回 「D特権的支配層と鎌倉幕府滅亡」 滅亡時の鎌倉幕府は、もはや御家人の政権ではなく、特権的支配層が自分たちの利益を維持・拡大するための組織となっていたのでした。 第6回 「E鎌倉幕府の滅亡」 「頗る亡気」の人(ヒドイ愚か者)とされる北条高時が頂点に君臨した最末期の鎌倉幕府の状態と、呆気なく、そして壮絶な滅亡の様子を御覧戴きます。
細川 重男:(ほそかわ・しげお)歴史研究家 1962年、東京都に生れる。東洋大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了、立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程満期退学。現在、中世内乱研究会総裁。博士(文学・立正大学)。専攻は日本中世政治史。主な著書に『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館)、『鎌倉北条氏の神話と歴史−権威と権力』(日本史史料研究会)、『執権−北条氏と鎌倉幕府』などがある。
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