戦後日本において、「敗戦/終戦」の受け止め方は様ざまでした。集団・世代・個人が置かれた状況によって、受け止め方は異なります。「敗戦/終戦」を「解放」と捉えた人びともいれば、なんとか国体を護持できたと考えた人びともいました。また、捉え方は時代によっても異なりました。そもそも、「敗戦」なのか「終戦」なのかという言葉の問題も、論争的なものです。この講座では、「敗戦/終戦」の受け止め方の多様なあり方とそれらの衝突を、時系列にそってレクチャーします。「敗戦/終戦」をどのように理解するかは、要は過去との連続性のなかで「現代」をいかに理解するのかという問題とつながっています。私たちはどこから来たのか。このレクチャーによって、私たちが立っている足場を固め、戦後80年の節目をより有意義なものにできればと考えています。(講師:記) 【各回のテーマ】 第1回 「敗戦」と「戦後民主主義」:占領下から50年代まで 占領下では、勝者による戦争責任追及と旧軍関係者の公職追放、そして戦争を憎んだ世論などの影響で、「敗戦/終戦」を否定的に捉える認識はほとんど表面化しませんでした。しかし、冷戦の固定化によって占領政策が転換すると、当初は占領軍を「解放軍」と捉えていた左派勢力も、態度を改め始めます。主権回復後は、「ゆきすぎた占領政策」の見直しを掲げる勢力が台頭するなど、現代まで続く「敗戦/終戦」の問題が生じます。この過程を振り返ります。 第2回 戦後への懐疑と「ポツダム民主主義」:60年代から80年代まで 60年代は、様ざまな局面で「戦後」への懐疑が噴出した時期でした。新左翼と右派勢力が、ともに「戦後」を否定するようになると、いわゆる「東京裁判」の見直しや、靖国神社国家護持運動なども始まります。こうした動きは80年代まで続くことになります。江藤淳と本多秋五の「無条件降伏論争」もこの時代でした。第2回では、この時代の「敗戦/終戦」の受け止め方を見ていきます。 第3回 「敗戦/終戦」の遠近法:90年代から現代まで 現代では、「敗戦/終戦」という言葉の含意が強く意識される機会は減りました。では、現代の私たちは(意識していないとしても)、あの戦争は「負けた」と受け止めているのでしょうか、あるいは「終わった」と受け止めているのでしょうか。第3回では現代日本の戦争観を確認することになります。
山本 昭宏:神戸市外国語大学准教授。1984年、奈良県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。文学(博士)。主著に『大江健三郎とその時代』(人文書院、2019年)、『戦後民主主義』(中公新書、2021年)、『変質する平和主義』(朝日新聞出版、2024年)など。
Zoomウェビナーを使用したオンライン講座です。見逃し配信(2週間限定)はマイページにアップします。各自ご確認ください。お問合せはasaculonline001@asahiculture.comで承ります。