平安時代の結婚制度が一夫多妻制ではなく、正妻とそれ以外の女性達(妾、愛人、召人など)とは明確に差があるかたち、法的には一夫一妻制であったことは、NHKの「光る君へ」をめぐる関連ゥ書・解説の類でも取り上げられることがありましたので、広く知られるようになりました。ただ、かのドラマにより平安貴族のイメージが実態と異なったままに定着してしまう懼れ無しとしません。 実のところ、従来の「一夫多妻制」という見方も、婚姻史・法制史などの歴史研究者さえもが、文学作品すなちフィクション(当時の言い方では「そらごと」)を歴史資料と同列に扱って制度を考察したことに、その誤解の根源の一つがあったと言ってもよいでしょう。テレビドラマもまた「そらごと」であり、娯楽であるのは言うまでもありません。 この講座では、平安時代の貴族の結婚をめぐる諸事情の一端を明らかにしたいと思っています。そのさいに、「小右記(藤原実資の日記)」「御堂関白記(藤原道長の日記)」等の歴史資料はもとより物語(大鏡・栄花物語などを含む)・かな日記・和歌資料をも取り上げ、それぞれの資料の特性を考慮しつつ具体的に考察したいと思っています。(講師・記) 【各回テーマ】 1/23 恋は常に「忍びわざ」〜儒教的道徳と結婚 律令には婚姻につき祖父母・父母等の許しを得ることの規定がある。これは儒教に基づく考えだが、平安貴族にも広く浸透していて、本人が決めるのは「心づからの忍びわざ」として軽く見られた。しかし、それ故、恋の物語は常に「忍びわざ」の話なのである。 2/27 私は妾。それでも…〜道綱母の誇示と現実 日記は、読者に自分をどのように見せるか、を意識して書かれる。当時の婚姻制度を踏まえて読むと、書き始めたとき、道綱母は妾としての自分の立場を明確に認識したうえで、それでも兼家から愛され大事にされたのだと世間に誇示したかったのだ、と思われる。 3/27 再婚をめぐるあつれき〜藤原長家の場合 長家は行成女と結婚して4年後にその妻が歿し、すぐに実資女との再婚話が起こった。父道長と子長家の思いの疎隔、優柔不断の長家、再婚相手の父親実資のいらだち、旧舅行成の思惑。錯綜する再婚話の経過と結末を実資・道長の日記や栄花物語などでたどる。
工藤 重矩:福岡教育大学名誉教授 昭和21年生れ。九州大学大学院修了。福岡教育大学名誉教授。博士(文学)。著書に『金葉和歌集詞花和歌集』(詞花集担当 岩波書店)、『平安朝律令社会の文学』(ぺりかん社)、『平安朝和歌漢詩文新考』(風間書房)、『源氏物語の婚姻と和歌解釈』(風間書房)、『平安朝文学と儒教の文学観』(笠間書院)、『源氏物語の結婚』(中公新書)など。
持参品:筆記用具 ※設備費は、教室維持費です。
Zoomウェビナーを使用した、教室でもオンラインでも受講できる自由選択講座です(講師は教室)。見逃し配信(1週間限定)はマイページにアップします。各自ご確認ください。お問合せはkk9mo@asahiculture.comで承ります。