勧修寺晴豊(1544〜1603)は、武家と朝廷との交渉を仲介する武家伝奏を務めた公家で、織田信長・豊臣秀吉らとも深く交流しました。また、晴豊の妹晴子は後陽成天皇の母親です。したがって、その日記は、16世紀後半期の政治・社会・文化状況を知る一級史料といえます。 ただ、今回読んでいく天正10年については、『晴豊記』などの名称で伝来した晴豊の日記には正月〜3月、10月の記事しかありません。これまで使用してきたテキストもこの『晴豊記』をもとにしていました。ところが、50年余年以前に、これとは別に『日々記』という名称で伝来した日記が晴豊の日記(自筆原本)で、既知の『晴豊記』の欠失部を補う史料であることが判明しました。「三職推任問題」「本能寺の変」などを含む、天正10年4月〜6月の記事もこの『日々記』にあります。これまでとは異なるテキストとなりますので、新しい挑戦です。 ★勧修寺晴豊ってどんな人?【動画】⇒ https://youtu.be/a1r9yr9Prlw
外岡 愼一郎:奈良大学文学部史学科教授 文明開化の風薫る横浜で生まれ、日本海の風吹き寄せる敦賀で小さな大学の教員となり、博物館でも仕事をし、数年前に今の仕事につきました。その時、その場、その人に寄り添う歴史研究を心がけています。
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