九州の古墳時代を前方後円墳・沖ノ島・石人石馬・装飾古墳といった九州独自の古墳文化から再検証し、新たな視点で「ヤマト政権と九州」を考えます。(講師・記) 【カリキュラム】 @10/15 古墳時代の始まりとヤマト政権 前方後円墳が出現するとヤマト政権の支配下に入ったと考えられてきたが、たった 数キロメートルの距離で前方後円墳と弥生時代の方形周溝墓がほぼ同時期に築造されている。 これで支配されたと考えて良いのか。また畿内の前方後円墳の墳形の変化を全く無視して北部 九州の豪族は好きな形の前方後円墳を築いている。こんなことで支配されたと言えるのであろうか。 このような疑問を考えます。 A11/19 神功皇后と北部九州 北部九州各地に神功皇后伝説が残されている。本当に神功皇后のような人が来たのであろうか。 また神功皇后は本当に新羅征討に来たのであろうか。神功皇后伝説地には、産気づいた腹を抑えた 石が残されている神社や、応神天皇を産み落とした宇美八幡宮などもあり、新羅征討があったのか 再検証します。 B12/17 沖ノ島祭祀とヤマト政権 朝鮮半島出兵を契機に沖ノ島祭祀が始まったとされている。沖ノ島祭祀のあり方、岩上祭祀→ 岩陰祭祀→半岩陰半露天祭祀→露天祭祀という祭祀の変遷とともに祭祀品も鏡から武器・甲冑、 馬具そして金銅製ミニチュア品、祭祀用土器へと変化している。そうした変化の歴史的背景を探り ます。 C1/21 胸肩君とヤマト政権 胸肩(宗像)君は、玄界灘沿岸の津屋崎海岸沿いに勝浦・新原奴山・在自須多田の3地区に 30基余の前方後円墳を築いている。全長100mの前方後円墳から径40mの大型円墳なども見られる。 特に7世紀後半の宮地嶽古墳は、胸肩徳善の墓と考えられており、その娘は天武天皇に嫁ぎ、 高市皇子を生んでおり、ヤマト政権との結び付きが強い。胸肩君とヤマト政権との関わりを再検証します。 D2/18 石人石馬と筑紫君 九州の古墳時代を代表とするものに石人石馬が真っ先に上げられよう。日本の他の地域には 見られない九州独特のものである。これまで石人石馬研究会などで研究されてきているが、 今回新たに九州古墳時代における石人石馬の歴史的意義について再検証し、九州の古墳時代を 考え直します。 E3/18 装飾古墳とヤマト政権 石人石馬とともに九州の古墳時代を代表するものである。その発祥から中九州への広がりともに 幾何学文から絵画的壁画に展開する歴史的背景について、さらに東北地方への広がりなども 再検証したい。 ☆各回申し込みも出来ます。リンクは別にあります。入会金は不要です。 会員の方 3,630円、一般の方 4,400円 *各回受講は、9/20から申し込み受付を開始します。
宇野 愼敏:前行橋市歴史資料館館長 1976(昭和51)年関西大学文学部史学科卒業、1979(昭和54)年(財)北九州市教育文化事業団(現在の(公財)北九州市芸術文化振興財団)埋蔵文化調査室学芸員を平成31年3月退職。令和5年3月末まで行橋市歴史資料館館長。現在、北九州市立旧百三十銀行ギャラリー館長。2003(平成15)年学生社より『九州古墳時代の研究』出版。2004(平成16)年 博士(文学)学位取得。2022(令和4)年(特定非営利活動法人)北九州市の文化財を守る会理事長、元福岡大学・北九州市立大学非常勤講師。
持参品:筆記用具 ※設備費は、教室維持費です。
Zoomウェビナーを使用した、教室でもオンラインでも受講できる自由選択講座です(講師は教室)。見逃し配信(1週間限定)はマイページにアップします。各自ご確認ください。お問合せはkk9mo@asahiculture.comで承ります。