645年、蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼした「乙巳の変」の後、中大兄(後の天智)と弟の大海人皇子(後の天武)の2人は、新しい国家造りをめざしました。兄の天智の時代には、百済の滅亡、白村江の戦いなど、国際情勢が非常に緊迫しました。天智の死後、大海人皇子は兄の遺児大友皇子と戦って、王位につきました。いわゆる壬申の乱です。こうした大変な動乱を経て、天武は新しい国家の建設事業に取り組みました。それが、律令国家「日本」の原形となりました。「日本」という国がどのような社会情勢のなかで誕生したのか、7世紀後半という激動の時代を紐解いてみましょう。 10月:7世紀後半の東アジア情勢と倭国の危機〜白村江の戦いから壬申の乱まで 12月:天武天皇の国家建設事業〜天皇制と「日本」のはじまり
筆記用具 設備費は、教室維持費です。
今期は10月、12月の2回です。