戦国時代後半の関東では、関東管領上杉憲政を追放した北条氏康と、 上杉憲政から関東管領職を受け継いだ上杉謙信との戦いが繰り広げられていました。その後、上杉氏を圧倒した北条氏が関東を制圧しますが、天下人となった豊臣秀吉と対立し、滅ぼされてしまいます。その後、江戸城に入った徳川家康により、関東の支城体制が再構築されました。上杉謙信の越山はなぜ失敗したのか、北条氏政・氏直父子は豊臣秀吉に勝てると思っていたのか、徳川家康が江戸城を選んだ理由は何だったのかなど、この時代の関東における城と合戦について解き明かしていきます。 1、上杉謙信の越山 2、小田原開城 3、徳川家康の関東入国
小和田 泰経:静岡英和学院大学講師 歴史家、静岡英和学院大学講師。家系は武田信玄の家臣馬場信房(信春)にルーツ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期退学。専攻は、日本中世史・対外関係史。 著書に『家康と茶屋四郎次郎』(静岡新聞社)『戦国合戦史事典 存亡を懸けた戦国864の戦い』(新紀元社)『天空の城をゆく』(平凡社)『真田三代戦国歴史検定[公式]テキスト』(ぴあ)など。
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