「邪馬台国論争」の歴史で、管見では誰も問題にしてこなかったテーマを3つ扱います。(1)北九州の邪馬台国(仮表記・山門国)と畿内の邪馬台国(仮表記・山処国)を立ち上げた集団は何か。その証拠は?(2)山門国の「山門」は現在の柳川市西南部にあたり、有明海中部の海辺の小地名です。なのになぜ山門・国(山の入口の国)なのか?命名者の意図とは。(3)司馬遷の『史記』(紀元前90年代成立)には「東夷・西南夷・百越」とあるばかりでどこにも「倭・倭人・倭国・山門国」は出てきません。徐福出航(紀元前209年)には熱心だった司馬遷のこの「冷淡さ」は、どんな理由あってのことか?そもそも「倭」という概念はいつ成立したのか。新報告満載です。
光田 和伸:「桂の会」主宰 1951年生。京都大学国文・ドイツ文学科卒業。同大学助手・武庫川女子大学助教授を経て1995年4月〜2016年3月まで国際日本文化研究センター研究員。著書に『平野法楽連歌』(和泉書院・共著)『竹林抄』(岩波書店・共著)など。
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