鎌倉幕府の将軍や御家人の武士たちは、寺院や神社をとても尊重しました。それは軍事上の防壁になり、精神的な支えにもなるからです。さらに治病・安産・田畑の虫追いなどの日常的な生活の助けになるとも考えていたからです。さらに武士一族として重要なのは、寺院の法要・神社の祭りで一族を集合させることが一族の団結に役立つ、ということでした。このため、将軍や御家人たちは縁の深い寺院・神社を大切にし、また新たに建立したのです。本講座では鎌倉時代初期の将軍・御家人と相模国を中心とする寺院・神社について見ていきます。(講師記) ★2024年1月期開講。今期終了 <今期カリキュラム(予定)> 和田義盛と浄楽寺 義盛は南都仏師を招いて阿弥陀三尊を造立した。 和田義盛と正行寺 義盛は木曽出身の妻・仏御前の菩提を弔った。 源実朝と船玉神社 実朝は南宋へ渡る大船を作らせたが、沈んだ。 宇都宮頼綱と二荒山神社(下野国一ノ宮) 頼綱は軍事・信仰・和歌の武将。 北条泰時と常楽寺 泰時は北条本家の新領地に心の拠り所の寺建立。 金沢実時と称名寺 実時は鎌倉の東の守りと文化行政を任され建立。 <年間カリキュラム(予定)> <1月期テーマ(予定)> 源頼朝と伊豆山権現(神社) 頼朝は挙兵の折に妻を預け、のち西の防壁として尊重。 源頼朝と箱根権現(神社) 頼朝は西・西北地方への広く険しい防壁として尊重。 源頼朝と鶴岡八幡宮寺 頼朝は源氏の氏神、また居館の西の守りとして尊重。 源頼朝と荏柄天神社 頼朝は居館の東の守りで菅原道真の天神社を盛りたてた。 源頼朝と勝長寿院(大御堂) 頼朝は父の墓所、また氏寺として阿弥陀仏の寺を建立。 <4月期テーマ(予定)> 源頼朝と永福寺(二階堂)⑴ 頼朝は奥州征伐で、「二階堂」に感動した。 源頼朝と永福寺(二階堂)⑵ 頼朝と妻の政子は願いを込めた仏堂を建立。 北条時政と願成就院(伊豆国)⑴ 時政は奥州征伐勝利のため故郷に建立。 北条時政と願成就院(伊豆国)⑵ 時政は頼朝の奈良仏師の招きに倣った。 北条時政と三島大社(伊豆国一ノ宮) 時政は伊豆国の精神的支配を狙った。 北条政子と寿福寺 政子は娘三幡の病気回復に栄西を頼った。 <7月期テーマ(予定)> 源頼家と建仁寺 頼家は栄西を後援、その京都進出を助けた。 源頼家と修禅寺(伊豆国) 頼家は修禅寺に流され、時政に暗殺された。 比企能本と妙本寺 比企能員全滅、残った息子が妙本寺を建立。 北条義時と大倉薬師堂⑴ 義時は幕府所在地に薬師信仰の寺を建立。 北条義時と大倉薬師堂⑵ 義時は薬師守護の十二神将、特に戌神を尊重。 北条義時と北条寺(伊豆国) 義時の故郷の江間に夫婦の墓所が設けられた。 <10月期テーマ(予定)> 和田義盛と浄楽寺 義盛は南都仏師を招いて阿弥陀三尊を造立した。 和田義盛と正行寺 義盛は木曽出身の妻・仏御前の菩提を弔った。 源実朝と船玉神社 実朝は南宋へ渡る大船を作らせたが、沈んだ。 宇都宮頼綱と二荒山神社(下野国一ノ宮) 頼綱は軍事・信仰・和歌の武将。 北条泰時と常楽寺 泰時は北条本家の新領地に心の拠り所の寺建立。 金沢実時と称名寺 実時は鎌倉の東の守りと文化行政を任され建立。
今井 雅晴:筑波大学名誉教授 1942年東京生まれ。東京教育大学大学院博士課程日本史学専攻修了。日本中世史・文化史専攻。文学博士。現在、筑波大学名誉教授。東国真宗研究所所長。著書に『中世を生きた日本人』『北条時政の願成就院創立』『日本文化の伝統とその心』『仏都鎌倉の一五〇年』『鎌倉時代に和歌に託した心・続』『鎌倉北条氏の女性たち』など多数。
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