中断していた吉野ヶ里遺跡の発掘調査が再び始まりました。なかでも石棺墓は弥生時代後期後半期、銅鏡等の副葬品が期待されましたが、何も見出されませんでした。がっかりの感が流れましたが、この時期、吉野ヶ里環壕集落は巨大化、宗廟(北内閣)・政所(南内郭)・社稷(祭壇)・大倉庫群(邸閣)・市等が整備され、地域社会の祭政の一大拠点を呈するようになります。吉野ヶ里遺跡にしか見られない施設整備は何を語るのか、九州北部弥生政治社会の歴史の流れから探ります。 10月28日 弥生人(倭人)の動向1 11月25日 弥生人(倭人)の動向2 12月23日 女王国王権とヤマト王権
高島 忠平:考古学者
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