【2026年夏】くずは教室のクーポン対象講座一覧
■キャンペーン期間
2026年5月22日(金)9:30 〜 2026年6月30日(火)23:59■キャンペーン内容
WEB申し込みの際、対象講座が500円割引となるクーポンです。すでに会員の方も、一般で受講される方もご利用いただけます。
【クーポンコード】
2026summer500
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くずは
関ケ原合戦、武将たちの選択U【教室受講】
- 歴史
- 教室(事前選択講座)
- 2026夏クーポン対象
- 外岡 愼一郎/元奈良大学文学部教授
- 2026/07/03〜
金
13:00〜14:30
「関ケ原合戦」といえば、その名の通り、慶長5年9月15日(1600年10月21日)に美濃国関ヶ原で戦われた半日ほどの合戦をさしますが、その前後に東北や九州を含む全国各地で徳川方(「関東方」、東軍)と毛利・石田方(「上方衆」、西軍)に分かれた局地戦が展開していました。内乱の様相を示していたともいえます。豊臣秀吉が天下統一を成し遂げたという歴史的背景がなければそうはならなかっただろうと思いますが、列島各地に武家拠点を築いていた武将たちが、それぞれどちらにつくのか、選択を迫られた戦いでもありました。今回の講座では、これら武将たちが何を考えどのようにしてその選択に至ったのか、また武将の人生を関ケ原合戦がどう変えていったのか、語っていきます。 4月期のTに引き続き、Uは下記のようなプログラムで進めます。 第1回 京極高次の場合 第2回 蜂須賀家政の場合 第3回 藤堂高虎の場合 第4回 大谷吉継の場合 第5回 毛利輝元の場合 第6回 小早川秀秋の場合
詳しく見る -
くずは オンライン
関ケ原合戦、武将たちの選択U (オンライン受講)
- 歴史
- オンライン(事前選択講座)
- 見逃し配信あり
- 2026夏クーポン対象
- 外岡 愼一郎/元奈良大学文学部教授
- 2026/07/03〜
金
13:00〜14:30
「関ケ原合戦」といえば、その名の通り、慶長5年9月15日(1600年10月21日)に美濃国関ヶ原で戦われた半日ほどの合戦をさしますが、その前後に東北や九州を含む全国各地で徳川方(「関東方」、東軍)と毛利・石田方(「上方衆」、西軍)に分かれた局地戦が展開していました。内乱の様相を示していたともいえます。豊臣秀吉が天下統一を成し遂げたという歴史的背景がなければそうはならなかっただろうと思いますが、列島各地に武家拠点を築いていた武将たちが、それぞれどちらにつくのか、選択を迫られた戦いでもありました。今回の講座では、これら武将たちが何を考えどのようにしてその選択に至ったのか、また武将の人生を関ケ原合戦がどう変えていったのか、語っていきます。 4月期のTに引き続き、Uは下記のようなプログラムで進めます。 第1回 京極高次の場合 第2回 蜂須賀家政の場合 第3回 藤堂高虎の場合 第4回 大谷吉継の場合 第5回 毛利輝元の場合 第6回 小早川秀秋の場合
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史料から読み解く幕末志士の実像(教室受講)
- 歴史
- 教室(事前選択講座)
- 2026夏クーポン対象
- 米澤 亮介/霊山歴史館 学芸員
- 2026/07/27〜
月
13:30〜15:00
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史料から読み解く幕末志士の実像(オンライン受講)
- 歴史
- オンライン(事前選択講座)
- 見逃し配信あり
- 2026夏クーポン対象
- 米澤 亮介/霊山歴史館 学芸員
- 2026/07/27〜
月
13:30〜15:00
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7世紀の東アジアを考える 【教室受講】
- 歴史
- 教室(事前選択講座)
- 2026夏クーポン対象
- 田中 俊明/滋賀県立大学名誉教授
- 2026/07/24〜
金
13:00〜14:30
唐は、640年までかけて北の強敵東突厥および鉄勒・吐蕃などを抑えることに成功し、その後、東の高句麗に目を向けるようになります。唐の脅威に対抗し、高句麗と百済が連係し、残された新羅は唐との関係を強めます。倭は古くからの関係もあって百済側に立ちます。今期はそうした7世紀なかばの問題、唐との対立のなかでの百済・高句麗をとりあげます。東北アジアが大きく戦乱に向かっていく時期にあたります。その勝者は新羅でした。百済・高句麗を滅ぼしさらに連合していた唐の勢力を半島から駆逐して三国統一を果たすのです。その過程を詳しくみていきます。 金春秋の即位と百済滅亡 7/24 金春秋がようやく即位(武烈王)し、金庾信とともに両輪体制で、新羅の三国統一を進めます。金春秋は外交、金庾信は軍事をにないました。金春秋は、高句麗・唐にも行き、日本にも来て連係を求めます。唐との連合のもと、まず百済を滅ぼします。その経過についてみていきます。 熊津都督府の設置 8/28 新羅と連合して百済を滅ぼした唐は、百済のキに熊津都督府を設置し、旧百済領を統治しようとしました。しかしそれは新羅の思惑とは異なっており、対立含みになりますが、すぐに百済遺民の抵抗運動が起こり、唐・新羅の戦争は先送りになります。 淵蓋蘇文の死と高句麗の滅亡 9/25 高句麗では、666年ころに蓋蘇文が死んで、長子の男生がその地位を受け継ぎますが、その弟男建・男産とのあいだで対立が起こり、男生が唐軍を引き入れます。そのため唐軍が容易に高句麗王都に入り、高句麗が滅亡します。その経過についてみていきます。
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7世紀の東アジアを考える(オンライン受講)
- 歴史
- オンライン(事前選択講座)
- 見逃し配信あり
- 2026夏クーポン対象
- 田中 俊明/滋賀県立大学名誉教授
- 2026/07/24〜
金
13:00〜14:30
唐は、640年までかけて北の強敵東突厥および鉄勒・吐蕃などを抑えることに成功し、その後、東の高句麗に目を向けるようになります。唐の脅威に対抗し、高句麗と百済が連係し、残された新羅は唐との関係を強めます。倭は古くからの関係もあって百済側に立ちます。今期はそうした7世紀なかばの問題、唐との対立のなかでの百済・高句麗をとりあげます。東北アジアが大きく戦乱に向かっていく時期にあたります。その勝者は新羅でした。百済・高句麗を滅ぼしさらに連合していた唐の勢力を半島から駆逐して三国統一を果たすのです。その過程を詳しくみていきます。 金春秋の即位と百済滅亡 7/24 金春秋がようやく即位(武烈王)し、金庾信とともに両輪体制で、新羅の三国統一を進めます。金春秋は外交、金庾信は軍事をにないました。金春秋は、高句麗・唐にも行き、日本にも来て連係を求めます。唐との連合のもと、まず百済を滅ぼします。その経過についてみていきます。 熊津都督府の設置 8/28 新羅と連合して百済を滅ぼした唐は、百済のキに熊津都督府を設置し、旧百済領を統治しようとしました。しかしそれは新羅の思惑とは異なっており、対立含みになりますが、すぐに百済遺民の抵抗運動が起こり、唐・新羅の戦争は先送りになります。 淵蓋蘇文の死と高句麗の滅亡 9/25 高句麗では、666年ころに蓋蘇文が死んで、長子の男生がその地位を受け継ぎますが、その弟男建・男産とのあいだで対立が起こり、男生が唐軍を引き入れます。そのため唐軍が容易に高句麗王都に入り、高句麗が滅亡します。その経過についてみていきます。
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※日時等は変更となる場合がございます。最新の情報は講座詳細ページにてご確認ください。