新聞掲載講座(3/14夕刊特集)
-
京都
高句麗の「長安城」と「三京」 教室受講
- 歴史
- 教室(事前選択講座)
- 田中 俊明/滋賀県立大学名誉教授
- 2025/04/25
金
13:00〜14:30
中国では、長い分裂の時代を経て、589年に隋が南北を統一しました。それまで周辺の諸国は、中国の南北対立の状況を利用した外交を進め、それぞれの生き延びる道を模索していましたが、ひとつの中国と向き合い、対峙する形勢になります。そこから起きる東アジアの大変動について考えます。朝鮮三国の高句麗・百済・新羅は、隋・唐や日本を巻き込んだ形での改編が進み、新羅が半島をなかば領有するようになります。その過程と結果を具体的にみていくシリーズの第4回は、高句麗の「長安城」と「三京」について、お話しします。『隋書』高麗伝には「長安城」と「三京」という語が見えます。どちらも『隋書』が初見で、「長安城」は平壌城の別名です。「三京」は、王都平壌城に、国内城と漢城とを加えた呼称であり、平壌城以外の二つは、いわば副都です。隋代の高句麗の王都と副都について解説します。 (オンライン講座を併設します。オンライン受講の受付はWEBのみ)
詳しく見る -
京都 オンライン
高句麗の「長安城」と「三京」 オンライン受講
- 歴史
- オンライン(事前選択講座)
- 見逃し配信あり
- 田中 俊明/滋賀県立大学名誉教授
- 2025/04/25
金
13:00〜14:30
中国では、長い分裂の時代を経て、589年に隋が南北を統一しました。それまで周辺の諸国は、中国の南北対立の状況を利用した外交を進め、それぞれの生き延びる道を模索していましたが、ひとつの中国と向き合い、対峙する形勢になります。そこから起きる東アジアの大変動について考えます。朝鮮三国の高句麗・百済・新羅は、隋・唐や日本を巻き込んだ形での改編が進み、新羅が半島をなかば領有するようになります。その過程と結果を具体的にみていくシリーズの第4回は、高句麗の「長安城」と「三京」について、お話しします。『隋書』高麗伝には「長安城」と「三京」という語が見えます。どちらも『隋書』が初見で、「長安城」は平壌城の別名です。「三京」は、王都平壌城に、国内城と漢城とを加えた呼称であり、平壌城以外の二つは、いわば副都です。隋代の高句麗の王都と副都について解説します。
詳しく見る -
京都 オンライン
隋の煬帝の高句麗遠征 オンライン受講
- 歴史
- オンライン(事前選択講座)
- 見逃し配信あり
- 田中 俊明/滋賀県立大学名誉教授
- 2025/05/23
金
13:00〜14:30
中国では、長い分裂の時代を経て、589年に隋が南北を統一しました。それまで周辺の諸国は、中国の南北対立の状況を利用した外交を進め、それぞれの生き延びる道を模索していましたが、ひとつの中国と向き合い、対峙する形勢になります。そこから起きる東アジアの大変動について考えます。朝鮮三国の高句麗・百済・新羅は、隋・唐や日本を巻き込んだ形での改編が進み、新羅が半島をなかば領有するようになります。その過程と結果を具体的にみていくシリーズの第5回は、隋の煬帝(ようだい)の高句麗遠征について、お話しします。煬帝は突厥へ行幸したとき、高句麗の使者と出会って驚いています。警戒した煬帝は、611年に号して200万という大軍を高句麗に送りました。これを初回として、翌年、さらにその翌年と、つづけて3回、高句麗遠征を行いますが、すべて失敗に終わり、内紛を招いて隋が滅亡するに至ります。この三回にわたる煬帝の高句麗遠征について詳しく解説します。
詳しく見る -
京都
隋の煬帝の高句麗遠征 教室受講
- 歴史
- 教室(事前選択講座)
- 田中 俊明/滋賀県立大学名誉教授
- 2025/05/23
金
13:00〜14:30
中国では、長い分裂の時代を経て、589年に隋が南北を統一しました。それまで周辺の諸国は、中国の南北対立の状況を利用した外交を進め、それぞれの生き延びる道を模索していましたが、ひとつの中国と向き合い、対峙する形勢になります。そこから起きる東アジアの大変動について考えます。朝鮮三国の高句麗・百済・新羅は、隋・唐や日本を巻き込んだ形での改編が進み、新羅が半島をなかば領有するようになります。その過程と結果を具体的にみていくシリ―ズの第5回は、隋の煬帝(ようだい)の高句麗遠征について、お話しします。煬帝は突厥へ行幸したとき、高句麗の使者と出会って驚いています。警戒した煬帝は、611年に号して200万という大軍を高句麗に送りました。これを初回として、翌年、さらにその翌年と、つづけて3回、高句麗遠征を行いますが、すべて失敗に終わり、内紛を招いて隋が滅亡するに至ります。この三回にわたる煬帝の高句麗遠征について詳しく解説します。 (オンライン講座を併設します。オンライン受講の受付はWEBのみ)
詳しく見る -
京都
百済の王都と政治体制 教室受講
- 歴史
- 教室(事前選択講座)
- 田中 俊明/滋賀県立大学名誉教授
- 2025/06/27
金
13:00〜14:30
中国では、長い分裂の時代を経て、589年に隋が南北を統一しました。それまで周辺の諸国は、中国の南北対立の状況を利用した外交を進め、それぞれの生き延びる道を模索していましたが、ひとつの中国と向き合い、対峙する形勢になります。そこから起きる東アジアの大変動について考えます。朝鮮三国の高句麗・百済・新羅は、隋・唐や日本を巻き込んだ形での改編が進み、新羅が半島をなかば領有するようになります。その過程と結果を具体的にみていくシリーズの第6回は、 百済の王都と政治体制についてお話しします。百済は、538年に都を現在の扶余に遷していましたが、7世紀に入ると、益山にも副都を置きます。王都は5部に分け、部ごとに5つの巷(こう)を置きました。巷は中国南朝の建康にみられる制度で、その影響です。地方は5つの方(ほう)に分けて、中央集権の統治体制を取りました。この時期の百済の王都と政治制度について考えます。 (オンライン講座を併設します。オンライン受講の受付はWEBのみ)
詳しく見る -
京都 オンライン
百済の王都と政治体制 オンライン受講
- 歴史
- オンライン(事前選択講座)
- 見逃し配信あり
- 田中 俊明/滋賀県立大学名誉教授
- 2025/06/27
金
13:00〜14:30
中国では、長い分裂の時代を経て、589年に隋が南北を統一しました。それまで周辺の諸国は、中国の南北対立の状況を利用した外交を進め、それぞれの生き延びる道を模索していましたが、ひとつの中国と向き合い、対峙する形勢になります。そこから起きる東アジアの大変動について考えます。朝鮮三国の高句麗・百済・新羅は、隋・唐や日本を巻き込んだ形での改編が進み、新羅が半島をなかば領有するようになります。その過程と結果を具体的にみていくシリーズの第6回は、 百済の王都と政治体制についてお話しします。百済は、538年に都を現在の扶余に遷していましたが、7世紀に入ると、益山にも副都を置きます。王都は5部に分け、部ごとに5つの巷(こう)を置きました。巷は中国南朝の建康にみられる制度で、その影響です。地方は5つの方(ほう)に分けて、中央集権の統治体制を取りました。この時期の百済の王都と政治制度について考えます。
詳しく見る -
京都
「愛」の哲学 教室受講
- NEW
- 哲学・思想・宗教
- 教室(事前選択講座)
- 藤田 正勝/京都大学名誉教授
- 2025/04/08〜
火
15:00〜16:30
「愛」、つまり他の人を大切に思い、いつくしむということや、恋い慕うこと、あるいは何かを気に入り、愛着を感じるといったことは、私たちの心のさまざまな働きのなかで、とても重要な働きをしています。したがって「愛」という言葉は小説のなかにも、歌や詩のなかにもあふれています。しかし、面と向かって相手に愛を伝えようとするとき、この言葉は使いにくいのです。それは、なぜでしょうか。この言葉が明治以降に日本に入ってきた翻訳語であるからではないかと、講師は考えます。「愛」という言葉には、「愛(め)づ」や「恋(こ)ふ」、「偲(しの)ぶ」といった古来の意味や、「慈悲」や「仁」といった仏教的・儒教的ニュアンス、古代ギリシアの「エロース」やキリスト教の「アガペー」など、さまざまな意味が入り込んでいます。その意味でとても豊かな言葉です。講座では、世界の思想に目を配りながら、また日本の詩歌や文芸を手がかりにしながら、日本において「愛」という言葉が定着していく歴史をたどります。そしてそれが私たちの生活のなかでどのような意味をもっているのかを、哲学者と一緒に考えてみましょう。 (オンライン講座を併設します。オンライン受講の申し込みはWEBのみ) @4月8日 愛の諸相――その源泉に遡る(渇愛、慈悲、仁、兼愛) A4月22日 日本における「愛」概念の変遷 B5月13日 エロースとアガペー(古代ギリシアとキリスト教の「愛」) C6月10日 日本の近代思想・文学のなかの「愛」
詳しく見る -
京都 オンライン
「愛」の哲学 オンライン受講
- NEW
- 哲学・思想・宗教
- オンライン(事前選択講座)
- 見逃し配信あり
- 藤田 正勝/京都大学名誉教授
- 2025/04/08〜
火
15:00〜16:30
「愛」、つまり他の人を大切に思い、いつくしむということや、恋い慕うこと、あるいは何かを気に入り、愛着を感じるといったことは、私たちの心のさまざまな働きのなかで、とても重要な働きをしています。したがって「愛」という言葉は小説のなかにも、歌や詩のなかにもあふれています。しかし、面と向かって相手に愛を伝えようとするとき、この言葉は使いにくいのです。それは、なぜでしょうか。この言葉が明治以降に日本に入ってきた翻訳語であるからではないかと、講師は考えます。「愛」という言葉には、「愛(め)づ」や「恋(こ)ふ」、「偲(しの)ぶ」といった古来の意味や、「慈悲」や「仁」といった仏教的・儒教的ニュアンス、古代ギリシアの「エロース」やキリスト教の「アガペー」など、さまざまな意味が入り込んでいます。その意味でとても豊かな言葉です。講座では、世界の思想に目を配りながら、また日本の詩歌や文芸を手がかりにしながら、日本において「愛」という言葉が定着していく歴史をたどります。そしてそれが私たちの生活のなかでどのような意味をもっているのかを、哲学者と一緒に考えてみましょう。 @4月8日 愛の諸相――その源泉に遡る(渇愛、慈悲、仁、兼愛) A4月22日 日本における「愛」概念の変遷 B5月13日 エロースとアガペー(古代ギリシアとキリスト教の「愛」) C6月10日 日本の近代思想・文学のなかの「愛」
詳しく見る -
京都 オンライン
南北朝内乱と後醍醐天皇(オンライン受講)
- NEW
- 歴史
- オンライン(事前選択講座)
- 見逃し配信あり
- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/04/02〜
水
13:00〜14:30
60年間続いた南北朝内乱。それは日本史上最大の内戦(Civil War)であり、軍勢が東北から九州まで駆け回り、日本社会をその根底から変革した出来事と評価されています。その日本史上最大の内戦である南北朝内乱を引き起こしたのが後醍醐天皇でした。後醍醐天皇がどのような状況で南北朝内乱の引金を引いたのかを見ていきます。 第1回 「鎌倉幕府討幕」 南北朝内乱の第一歩は鎌倉幕府の討幕でした。なぜ後醍醐天皇は鎌倉幕府討幕を計画し、成功したのでしょうか。それは天皇家の分裂が始まりでした。天皇家が二つに分裂し、当事者能力を失う中で鎌倉幕府に依存していく中で、大覚寺統の傍流として子孫に皇位を継承することができなかった後醍醐天皇が、事態打開のために鎌倉幕府討幕に踏み切り、それが幕府内部の有力者である足利高氏・京極導誉らの離反を招いて幕府はあっけなく倒れます。 第2回 「南北朝内乱へ」 後醍醐天皇の強引な政策は武家だけでなく天皇家内部や朝廷内部にも不満をもたらし、後醍醐天皇によって皇位から排除された持明院統の皇族による反後醍醐クーデターを引き起こします。それに連動した鎌倉幕府復興運動(中先代の乱)を経て、足利尊氏の後醍醐天皇からの離反につながり、やがて尊氏と持明院統の光厳上皇の結びつきによる室町幕府の開設と、後醍醐天皇の吉野逃亡を契機に南北朝内乱へとつながっていきます。 ・各回受講できます ・教室からオンライン同時配信します
詳しく見る -
京都
南北朝内乱と後醍醐天皇(教室受講)
- NEW
- 歴史
- 教室(事前選択講座)
- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/04/02〜
水
13:00〜14:30
60年間続いた南北朝内乱。それは日本史上最大の内戦(Civil War)であり、軍勢が東北から九州まで駆け回り、日本社会をその根底から変革した出来事と評価されています。その日本史上最大の内戦である南北朝内乱を引き起こしたのが後醍醐天皇でした。後醍醐天皇がどのような状況で南北朝内乱の引金を引いたのかを見ていきます。 第1回 「鎌倉幕府討幕」 南北朝内乱の第一歩は鎌倉幕府の討幕でした。なぜ後醍醐天皇は鎌倉幕府討幕を計画し、成功したのでしょうか。それは天皇家の分裂が始まりでした。天皇家が二つに分裂し、当事者能力を失う中で鎌倉幕府に依存していく中で、大覚寺統の傍流として子孫に皇位を継承することができなかった後醍醐天皇が、事態打開のために鎌倉幕府討幕に踏み切り、それが幕府内部の有力者である足利高氏・京極導誉らの離反を招いて幕府はあっけなく倒れます。 第2回 「南北朝内乱へ」 後醍醐天皇の強引な政策は武家だけでなく天皇家内部や朝廷内部にも不満をもたらし、後醍醐天皇によって皇位から排除された持明院統の皇族による反後醍醐クーデターを引き起こします。それに連動した鎌倉幕府復興運動(中先代の乱)を経て、足利尊氏の後醍醐天皇からの離反につながり、やがて尊氏と持明院統の光厳上皇の結びつきによる室町幕府の開設と、後醍醐天皇の吉野逃亡を契機に南北朝内乱へとつながっていきます。 ・各回受講できます
詳しく見る
※日時等は変更となる場合がございます。最新の情報は講座詳細ページにてご確認ください。