世界史を「絵画」からアプローチする?!――。そんな講座です。 「身元」のはっきりした、史資料としての批判に耐えうる絵画類の中には、追求・探求の仕方次第で様々な歴史の側面を我々に垣間見せてくれるものがある。今日ある名画も、当時の画家たちも“時代の子”として描いています。その時代性を意識しながら読み解いていけば、立派な歴史資料。様々な絵画資料の読み解き、高校で学んだ世界史を振り返り、かつ絵画を通して学ぶ歴史学習の面白さを皆様とともに追求していきたい。 高校時代に、世界史教科書や副教材の図説に載っている絵画などは、どのように見られていたのだろう。多くが、挿絵的に、歴史上の人物のイメージや事件のあらましなどを知るものとして眺められていたのでは。 我々の生活も世界史の積み重なった土壌の上で営まれていることを意識し、絵画に潜む謎を探り、絵画から時代性を導き出して世界史を学ぶことの面白さ・楽しさを味わって、共有していく。どんな画家が登場し、そして絵画から何が飛び出してくるか、ご期待ください。 ☆初めての方は、まずはおためしで各テーマごと(月単位:2回)を体験ください。 月単位受講は入会金不要です。:会員の方 6,996円、一般の方7,656円 【ジョセフ=ケプラーの風刺画】1月のみ受講のお申し込みは[こちら](https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7626357) 【バイユー・タペストリー】2月のみ受講のお申し込みは[こちら](https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7626358) 【張択端《清明上河図》】3月のみ受講のお申し込みは[こちら](https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7626359) 【カリキュラム】 1月 ジョセフ=ケプラーの風刺画《上院の支配者たち》〔1889年1月〕とアメリカ「革新主義」の時代 〜セオドア=ローズヴェルトはなぜ ”テディ=ベア ”のモデルとなったのか? 2月 《バイユー・タペストリー》〔1066年〕と中世英仏関係史 〜1066年3月、ヴァイキングシップに乗ったノルマン人が見たものは? 3月 張択端《清明上河図》〔12世紀前半〕と宋代中国経済の発展 〜平忠盛・清盛親子はなぜ日宋貿易に熱心だったのか?
詳しく見る1月期のカリキュラムは・・・ 1/26 平和を求めて[1] 2/16 平和を求めて[2]年間第33主日ミサの入祭唱「Dicit Dominus 主は仰せになる」 3/30 平和を求めて[3]年間第34週の週日ミサの入祭唱「Loquetur Dominus pacem 主は平和を告げられる」 8世紀半ば以降フランク王国に導入されたローマ聖歌は,教皇グレゴリウス1世(在位590-604)に因んで「グレゴリオ聖歌」と呼ばれるようになり,王国内で独自の展開を遂げ,後代に伝承されてゆきました。本講座では,9世紀末頃にこの音楽を記録するために考案された「ネウマ(うなずき,合図の意)」と呼ばれる音楽記号を一から丁寧に読み解いてまいります。そのうえで毎回1曲ずつ,ネウマ記号をカリグラフィーのように紙に描きながら,声に出して歌ってまいりましょう。きっと音楽についての新しい気づきを得ることができるでしょう。(講師:記)
詳しく見る平安時代の結婚制度が一夫多妻制ではなく、正妻とそれ以外の女性達(妾、愛人、召人など)とは明確に差があるかたち、法的には一夫一妻制であったことは、NHKの「光る君へ」をめぐる関連ゥ書・解説の類でも取り上げられることがありましたので、広く知られるようになりました。ただ、かのドラマにより平安貴族のイメージが実態と異なったままに定着してしまう懼れ無しとしません。 実のところ、従来の「一夫多妻制」という見方も、婚姻史・法制史などの歴史研究者さえもが、文学作品すなちフィクション(当時の言い方では「そらごと」)を歴史資料と同列に扱って制度を考察したことに、その誤解の根源の一つがあったと言ってもよいでしょう。テレビドラマもまた「そらごと」であり、娯楽であるのは言うまでもありません。 この講座では、平安時代の貴族の結婚をめぐる諸事情の一端を明らかにしたいと思っています。そのさいに、「小右記(藤原実資の日記)」「御堂関白記(藤原道長の日記)」等の歴史資料はもとより物語(大鏡・栄花物語などを含む)・かな日記・和歌資料をも取り上げ、それぞれの資料の特性を考慮しつつ具体的に考察したいと思っています。(講師・記) 【各回テーマ】 1/23 恋は常に「忍びわざ」〜儒教的道徳と結婚 律令には婚姻につき祖父母・父母等の許しを得ることの規定がある。これは儒教に基づく考えだが、平安貴族にも広く浸透していて、本人が決めるのは「心づからの忍びわざ」として軽く見られた。しかし、それ故、恋の物語は常に「忍びわざ」の話なのである。 2/27 私は妾。それでも…〜道綱母の誇示と現実 日記は、読者に自分をどのように見せるか、を意識して書かれる。当時の婚姻制度を踏まえて読むと、書き始めたとき、道綱母は妾としての自分の立場を明確に認識したうえで、それでも兼家から愛され大事にされたのだと世間に誇示したかったのだ、と思われる。 3/27 再婚をめぐるあつれき〜藤原長家の場合 長家は行成女と結婚して4年後にその妻が歿し、すぐに実資女との再婚話が起こった。父道長と子長家の思いの疎隔、優柔不断の長家、再婚相手の父親実資のいらだち、旧舅行成の思惑。錯綜する再婚話の経過と結末を実資・道長の日記や栄花物語などでたどる。
詳しく見る九州の古墳時代を前方後円墳・沖ノ島・石人石馬・装飾古墳といった九州独自の古墳文化から再検証し、新たな視点で「ヤマト政権と九州」を考えます。(講師・記) 【カリキュラム】 @10/15 古墳時代の始まりとヤマト政権 前方後円墳が出現するとヤマト政権の支配下に入ったと考えられてきたが、たった 数キロメートルの距離で前方後円墳と弥生時代の方形周溝墓がほぼ同時期に築造されている。 これで支配されたと考えて良いのか。また畿内の前方後円墳の墳形の変化を全く無視して北部 九州の豪族は好きな形の前方後円墳を築いている。こんなことで支配されたと言えるのであろうか。 このような疑問を考えます。 A11/19 神功皇后と北部九州 北部九州各地に神功皇后伝説が残されている。本当に神功皇后のような人が来たのであろうか。 また神功皇后は本当に新羅征討に来たのであろうか。神功皇后伝説地には、産気づいた腹を抑えた 石が残されている神社や、応神天皇を産み落とした宇美八幡宮などもあり、新羅征討があったのか 再検証します。 B12/17 沖ノ島祭祀とヤマト政権 朝鮮半島出兵を契機に沖ノ島祭祀が始まったとされている。沖ノ島祭祀のあり方、岩上祭祀→ 岩陰祭祀→半岩陰半露天祭祀→露天祭祀という祭祀の変遷とともに祭祀品も鏡から武器・甲冑、 馬具そして金銅製ミニチュア品、祭祀用土器へと変化している。そうした変化の歴史的背景を探り ます。 C1/21 胸肩君とヤマト政権 胸肩(宗像)君は、玄界灘沿岸の津屋崎海岸沿いに勝浦・新原奴山・在自須多田の3地区に 30基余の前方後円墳を築いている。全長100mの前方後円墳から径40mの大型円墳なども見られる。 特に7世紀後半の宮地嶽古墳は、胸肩徳善の墓と考えられており、その娘は天武天皇に嫁ぎ、 高市皇子を生んでおり、ヤマト政権との結び付きが強い。胸肩君とヤマト政権との関わりを再検証します。 D2/18 石人石馬と筑紫君 九州の古墳時代を代表とするものに石人石馬が真っ先に上げられよう。日本の他の地域には 見られない九州独特のものである。これまで石人石馬研究会などで研究されてきているが、 今回新たに九州古墳時代における石人石馬の歴史的意義について再検証し、九州の古墳時代を 考え直します。 E3/18 装飾古墳とヤマト政権 石人石馬とともに九州の古墳時代を代表するものである。その発祥から中九州への広がりともに 幾何学文から絵画的壁画に展開する歴史的背景について、さらに東北地方への広がりなども 再検証したい。 ☆各回申し込みも出来ます。リンクは別にあります。入会金は不要です。 会員の方 3,630円、一般の方 4,400円 *各回受講は、9/20から申し込み受付を開始します。
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