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信長・秀吉とわたりあった戦国貴族 勧修寺晴豊の日記を読む(オンライン受講)
天正10年記〜「本能寺の変」後の京都

- 外岡 慎一郎/元奈良大学文学部教授
- 2025/04/04金 〜 2025/06/20金
- 13:00〜14:30
- 全6回
- 会員 19,140円 / 一般 21,120円
勧修寺晴豊(1544〜1603)は、武家と朝廷との交渉を仲介する武家伝奏を務めた公家で、織田信長・豊臣秀吉らとも深く交流しました。また、晴豊の妹晴子は後陽成天皇の母親です。したがって、その日記は、16世紀後半期の政治・社会・文化状況を知る一級史料といえます。 今期も引き続き、天正10年記を読み進めます。勧修寺晴豊の日記は天正10年秋の分(7〜9月)の分が残っておらず、また冬分も10月15日までしかありません。日記には「本能寺の変」後の京都の情勢(信長葬儀・贈位増官、本願寺顕如・教如和解など)が記されています。欠けている秋分と冬分を補うために、晴豊の日記以外の史料も交えながら進めていきます。(4月期から初めて参加される皆さんにもわかりやすくお話していきます。) ★勧修寺晴豊ってどんな人?【動画】⇒ https://youtu.be/a1r9yr9Prlw
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信長・秀吉とわたりあった戦国貴族 勧修寺晴豊の日記を読む(教室受講)
天正10年記〜「本能寺の変」後の京都

- 外岡 慎一郎/元奈良大学文学部教授
- 2025/04/04金 〜 2025/06/20金
- 13:00〜14:30
- 全6回
- 会員 19,140円 / 一般 21,120円
勧修寺晴豊(1544〜1603)は、武家と朝廷との交渉を仲介する武家伝奏を務めた公家で、織田信長・豊臣秀吉らとも深く交流しました。また、晴豊の妹晴子は後陽成天皇の母親です。したがって、その日記は、16世紀後半期の政治・社会・文化状況を知る一級史料といえます。 今期も引き続き、天正10年記を読み進めます。勧修寺晴豊の日記は天正10年秋の分(7〜9月)の分が残っておらず、また冬分も10月15日までしかありません。日記には「本能寺の変」後の京都の情勢(信長葬儀・贈位増官、本願寺顕如・教如和解など)が記されています。欠けている秋分と冬分を補うために、晴豊の日記以外の史料も交えながら進めていきます。(4月期から初めて参加される皆さんにもわかりやすくお話していきます。) ★勧修寺晴豊ってどんな人?【動画】⇒ https://youtu.be/a1r9yr9Prlw
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豊臣秀吉の運命を決めた合戦(オンライン受講)

- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/04/16水 〜 2025/06/18水
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 9,900円 / 一般 9,900円
天下統一で知られる豊臣秀吉は、兵糧攻めや水攻めなどの城攻めを得意としたと言われています。それは秀吉が信長譲りのロジスティックス(兵站)を重視したことの表れです。秀吉は様々な土木事業でも知られていますが、それも彼のロジスティックス重視の延長上にありますが、同時に秀吉はヒューマンリソース(人材)をうまく使いこなす名人でした。それこそが秀吉を下層階級から天下人に押し上げる原動力となったのです。今回の講座では秀吉の運命を決めた合戦を三つ選び、それぞれに秀吉はどのような戦略で臨んだのかを見ていきます。 ※各回受講もできます 第1回 「山崎の合戦〜羽柴秀吉、天下人に名乗りをあげる」 本能寺の変で織田信長が殺されたあと、明智光秀を山崎の合戦で撃破したことで羽柴秀吉は天下人へのレースの一番手に躍り出ます。秀吉の天下獲りを確実にした山崎の合戦は通称「天王山の戦い」とも呼ばれ、天下分け目の戦いとも言われています。「天王山の戦い」の由来は先に天王山を抑えた秀吉が勝利したことですが、実際の戦闘の経過は本能寺の変直後に秀吉の勝利が確定していました。秀吉が光秀に勝利したポイントはどこだったのか、中国大返しはなぜ成功したのか、山崎の合戦の経過はどのようなものだったのか、を見ていきます。 第2回 「小牧・長久手の戦い〜豊臣秀吉、天下人への道を確実にする」 豊臣秀吉の天下統一への動きに立ちはだかったのは徳川家康でした。家康はこの戦いで軍事的に優位に進めながらも秀吉の政治力に抑えられて最終的に和睦を選んだというイメージで語られがちですが、実際には秀吉が局地的に損害を受けたものの、終始優位に戦闘を進めたと考えられています。秀吉対家康という図式だけで見ていてはこの戦いは理解できません。近年では小牧長久手の戦いは北関東から中国・四国を巻き込む天下人決定戦の最終レースとすら言われており、文字通り天下を二分するスケールの大きい戦いだったのです。そして秀吉はこの「真・天下分け目の戦い」に勝利したのです。 第3回 「小田原の戦い〜豊臣秀吉、天下を統一する」 豊臣秀吉の天下統一のゴールは小田原北条氏を打倒したことで果たされます。なぜ北条氏を打倒することが天下統一につながるのでしょうか。それを理解するためのキーワードが通称「豊臣平和令」と言われる一連の秀吉の政策です。この言葉や概念に論争はあるのですが、秀吉が北条氏との戦いで掲げた大義名分にこそ天下統一の真の姿が現れています。そしてこの戦いは秀吉流ロジステイックスノ真骨頂でもありました。秀吉の戦いの集大成を見ていきたいと思います。
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豊臣秀吉の運命を決めた合戦(教室受講)

- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/04/16水 〜 2025/06/18水
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 9,900円 / 一般 9,900円
天下統一で知られる豊臣秀吉は、兵糧攻めや水攻めなどの城攻めを得意としたと言われています。それは秀吉が信長譲りのロジスティックス(兵站)を重視したことの表れです。秀吉は様々な土木事業でも知られていますが、それも彼のロジスティックス重視の延長上にありますが、同時に秀吉はヒューマンリソース(人材)をうまく使いこなす名人でした。それこそが秀吉を下層階級から天下人に押し上げる原動力となったのです。今回の講座では秀吉の運命を決めた合戦を三つ選び、それぞれに秀吉はどのような戦略で臨んだのかを見ていきます。 ※各回受講もできます 第1回 「山崎の合戦〜羽柴秀吉、天下人に名乗りをあげる」 本能寺の変で織田信長が殺されたあと、明智光秀を山崎の合戦で撃破したことで羽柴秀吉は天下人へのレースの一番手に躍り出ます。秀吉の天下獲りを確実にした山崎の合戦は通称「天王山の戦い」とも呼ばれ、天下分け目の戦いとも言われています。「天王山の戦い」の由来は先に天王山を抑えた秀吉が勝利したことですが、実際の戦闘の経過は本能寺の変直後に秀吉の勝利が確定していました。秀吉が光秀に勝利したポイントはどこだったのか、中国大返しはなぜ成功したのか、山崎の合戦の経過はどのようなものだったのか、を見ていきます。 第2回 「小牧・長久手の戦い〜豊臣秀吉、天下人への道を確実にする」 豊臣秀吉の天下統一への動きに立ちはだかったのは徳川家康でした。家康はこの戦いで軍事的に優位に進めながらも秀吉の政治力に抑えられて最終的に和睦を選んだというイメージで語られがちですが、実際には秀吉が局地的に損害を受けたものの、終始優位に戦闘を進めたと考えられています。秀吉対家康という図式だけで見ていてはこの戦いは理解できません。近年では小牧長久手の戦いは北関東から中国・四国を巻き込む天下人決定戦の最終レースとすら言われており、文字通り天下を二分するスケールの大きい戦いだったのです。そして秀吉はこの「真・天下分け目の戦い」に勝利したのです。 第3回 「小田原の戦い〜豊臣秀吉、天下を統一する」 豊臣秀吉の天下統一のゴールは小田原北条氏を打倒したことで果たされます。なぜ北条氏を打倒することが天下統一につながるのでしょうか。それを理解するためのキーワードが通称「豊臣平和令」と言われる一連の秀吉の政策です。この言葉や概念に論争はあるのですが、秀吉が北条氏との戦いで掲げた大義名分にこそ天下統一の真の姿が現れています。そしてこの戦いは秀吉流ロジステイックスノ真骨頂でもありました。秀吉の戦いの集大成を見ていきたいと思います。
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京都・奈良怪異ボックス(オンライン受講)
中世の絵画から不思議な物語を読み解く

- 西山 克/京都教育大学名誉教授
- 2025/04/21月 〜 2025/06/16月
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 10,230円 / 一般 10,890円
中世の絵画を読み解き、当時の社会の様子に触れていきます。パンドラの箱を開けるように、不思議な怪異の箱を開けてみませんか。 【各回のテーマ】 4月 永遠の待ち人 「須磨寺参詣曼荼羅」の世界 5月 約束された聖地 「伊勢曼荼羅」の世界 6月 世界の果てまで 「那智参詣曼荼羅」の世界
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京都・奈良怪異ボックス(教室受講)
中世の絵画から不思議な物語を読み解く

- 西山 克/京都教育大学名誉教授
- 2025/04/21月 〜 2025/06/16月
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 10,230円 / 一般 10,890円
中世の絵画を読み解き、当時の社会の様子に触れていきます。パンドラの箱を開けるように、不思議な怪異の箱を開けてみませんか。 【各回のテーマ】 4月 永遠の待ち人 「須磨寺参詣曼荼羅」の世界 5月 約束された聖地 「伊勢曼荼羅」の世界 6月 世界の果てまで 「那智参詣曼荼羅」の世界
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古文書で読み解く京都

- 久世 奈欧/京都光華女子大学短期大学部講師
- 2025/04/28月 〜 2025/06/23月
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 10,230円 / 一般 10,230円
長い歴史を持つ京都には、たくさんの古文書が残されています。とりわけ江戸時代の古文書は、内容も多様で点数も多く、それらを読み解くことで当時の京都の様子が鮮やかによみがえります。この講座では、くずし字で書かれた京都の寺社や生活などにまつわる資料を解読し、その背景を探ります。今と変わらぬ、あるいは、今と少し違った、江戸時代の京都の姿を古文書を通して見てみませんか。文字の基本的なくずしのパターンや、よく使う用語や言い回しなど、くずし字の資料を読む際に役立つポイントを押さえながら丁寧に読んでいきますので、初心者も安心してご参加いただけます。京都の町に出かけたときには、講座で学んだことを思い出して楽しんでみましょう。
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天狗の鼻が高いワケ(オンライン受講)

- 久留島 元/大谷大学文学部任期付助教
- 2025/06/14土
- 10:30〜12:00
- 全1回
- 会員 3,300円 / 一般 3,300円
天狗といえば、赤い顔に鼻高、山伏姿で知られていますが、昔からこのような姿だったのではありません。鼻高の天狗像は江戸時代初期にいっきに広がり、定着しますが、それまで天狗といえば鳥頭人身で描かれ、世間を騒がす魔物として知られていました。天狗像の変化とともに、なぜ鼻高の天狗像が定着したのか、謎を追います。
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天狗の鼻が高いワケ(教室受講)

- 久留島 元/大谷大学文学部任期付助教
- 2025/06/14土
- 10:30〜12:00
- 全1回
- 会員 3,300円 / 一般 3,300円
天狗といえば、赤い顔に鼻高、山伏姿で知られていますが、昔からこのような姿だったのではありません。鼻高の天狗像は江戸時代初期にいっきに広がり、定着しますが、それまで天狗といえば鳥頭人身で描かれ、世間を騒がす魔物として知られていました。天狗像の変化とともに、なぜ鼻高の天狗像が定着したのか、謎を追います。
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小田原の戦い 「豊臣秀吉の運命を決めた合戦」第3回 6/18(オンライン受講)
豊臣秀吉、天下を統一する

- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/06/18水
- 13:00〜14:30
- 全1回
- 会員 3,410円 / 一般 3,410円
天下統一で知られる豊臣秀吉は、兵糧攻めや水攻めなどの城攻めを得意としたと言われています。それは秀吉が信長譲りのロジスティックス(兵站)を重視したことの表れです。秀吉は様々な土木事業でも知られていますが、それも彼のロジスティックス重視の延長上にありますが、同時に秀吉はヒューマンリソース(人材)をうまく使いこなす名人でした。それこそが秀吉を下層階級から天下人に押し上げる原動力となったのです。今回の講座では秀吉の運命を決めた合戦を三つ選び、それぞれに秀吉はどのような戦略で臨んだのかを見ていきます。 第3回 6/18 「小田原の戦い〜豊臣秀吉、天下を統一する」 豊臣秀吉の天下統一のゴールは小田原北条氏を打倒したことで果たされます。なぜ北条氏を打倒することが天下統一につながるのでしょうか。それを理解するためのキーワードが通称「豊臣平和令」と言われる一連の秀吉の政策です。この言葉や概念に論争はあるのですが、秀吉が北条氏との戦いで掲げた大義名分にこそ天下統一の真の姿が現れています。そしてこの戦いは秀吉流ロジステイックスノ真骨頂でもありました。秀吉の戦いの集大成を見ていきたいと思います。 ※全3回のうちの1回受講 (各回のカリキュラム) 第1回 4/16 「山崎の合戦〜羽柴秀吉、天下人に名乗りをあげる」 第2回 5/21 「小牧・長久手の戦い〜豊臣秀吉、天下人への道を確実にする」
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小田原の戦い 「豊臣秀吉の運命を決めた合戦」第3回 6/18(教室受講)
豊臣秀吉、天下を統一する

- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/06/18水
- 13:00〜14:30
- 全1回
- 会員 3,410円 / 一般 3,410円
天下統一で知られる豊臣秀吉は、兵糧攻めや水攻めなどの城攻めを得意としたと言われています。それは秀吉が信長譲りのロジスティックス(兵站)を重視したことの表れです。秀吉は様々な土木事業でも知られていますが、それも彼のロジスティックス重視の延長上にありますが、同時に秀吉はヒューマンリソース(人材)をうまく使いこなす名人でした。それこそが秀吉を下層階級から天下人に押し上げる原動力となったのです。今回の講座では秀吉の運命を決めた合戦を三つ選び、それぞれに秀吉はどのような戦略で臨んだのかを見ていきます。 第3回 6/18 「小田原の戦い〜豊臣秀吉、天下を統一する」 豊臣秀吉の天下統一のゴールは小田原北条氏を打倒したことで果たされます。なぜ北条氏を打倒することが天下統一につながるのでしょうか。それを理解するためのキーワードが通称「豊臣平和令」と言われる一連の秀吉の政策です。この言葉や概念に論争はあるのですが、秀吉が北条氏との戦いで掲げた大義名分にこそ天下統一の真の姿が現れています。そしてこの戦いは秀吉流ロジステイックスノ真骨頂でもありました。秀吉の戦いの集大成を見ていきたいと思います。 ※全3回のうちの1回受講 第1回 4/16 「山崎の合戦〜羽柴秀吉、天下人に名乗りをあげる」 第2回 5/21 「小牧・長久手の戦い〜豊臣秀吉、天下人への道を確実にする」
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中世日本の境界領域と交流――蝦夷・琉球・対馬と周辺世界(オンライン受講)

- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/07/02水 〜 2025/09/03水
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 9,900円 / 一般 9,900円
近年、江戸時代の 「鎖国」については、単に「国を閉ざしていた」 という見方ではなく、江戸幕府が周辺諸国や地域との交流を 「四つの口」 と呼ばれる拠点を通じた交流に制限していたものと見られています。 江戸時代の「四つの口」とは、対オランダ・清の「長崎口」、対アイヌの「松前口」、対琉球の「薩摩口」、対朝鮮の「対馬口」を指します。 このうち「長崎口」は江戸幕府が新たに作り上げたものですが、それ以外は中世以来の長い伝統がある地域であり、江戸幕府の支配に なるまでも「外」の世界との交流の窓口となってきました。 そもそも当時は「国境」というのは現在のように「線」ではなく、「境界領域」と呼ばれる、どちらでもなく、どちらにも属するという複雑な様相を示していました。本講座では中世日本の境界領域である 「琉球」、「蝦夷地」、「対馬」と日本をはじめとした周辺の国との関係を見ていきます。 @7/2 「琉球王国〜万国津梁、守礼之国」 現在の沖縄県は1879年までは琉球王国という別の国家が成立していました。 日本では室町時代中期に琉球王国が成立し、室町幕府や江戸幕府と独 自の外交関係を樹立していました。 江戸時代の経緯から、 琉球王国と密接な関係を持っていたの は島津氏というイメージがありますが、 室町時代には琉球王国は室町幕府と独自の関係を構築 し、お互いに経済的・政治的にメリットを与え続けてきました。特に明からの物資を入手するに は琉球王国は欠かせないパートナーだったのです。 本講座では室町時代において琉球王国が成立す る経緯、室町将軍と琉球国王との関係、島津氏の影響が強まってくる近世への動きを見ていきます。 A8/6 「蝦夷地〜アイヌモシリ(アイヌの大地)」 現在の北海道はその大半が蝦夷地(アイヌモシリ=アイヌの大地の漢語訳) であり、そこにはアイヌが住んでいました。鎌倉から室町時代に は蝦夷管領津軽安藤氏(いわゆる安東水軍)とその末裔、 戦国時代には蠣崎(かきざき)氏、江戸時代には蠣崎氏が改姓した松前氏が道南の和人地に影響力を保持し、アイヌとの関係を築いてきました。 また当時のアイヌは北アジアと日本との中継貿易に携わっており、 今日の一般的なアイヌ像とは全 く違う生活をおこなっていました。 本講座ではアイヌ民族の形成、サハリンや千島列島、さらに はアムール川流域まで活動範囲を広げ、クビライのモンゴル帝国とも戦いを繰り広げたアイヌの姿を見ていきます。 B9/3 「対馬〜倭寇の根拠地」 対馬は政治的には一貫して日本の一部でありましたが、中世に は完全に朝鮮の経済圏に入って繁栄してきました。 そのキーとなったのが倭寇です。 倭寇は対馬・壱岐・松浦の人々による海賊行為というのが一般的な見方ですが、 その中身は北九州の名族 が関与していたり、明の武装商人だったりします。 鉄砲をもたらしたのは明の武装商人である倭 寇の船に便乗してきたポルトガル人でした。朝鮮王朝は倭寇対策に苦慮し、多くの対馬の人々が 朝鮮に定住して朝鮮から利益を得て対馬を支えてきました。 本講座では倭寇の広がり、朝鮮に定 住した対馬の人々の活躍とその結末の一つである三浦の乱など倭寇を取り巻く地域を見ていきます。 ※各回受講できます ※教室からオンライン同時配信します
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- 2025夏クーポン対象
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中世日本の境界領域と交流――蝦夷・琉球・対馬と周辺世界(教室受講)

- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/07/02水 〜 2025/09/03水
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 9,900円 / 一般 9,900円
近年、江戸時代の 「鎖国」については、単に「国を閉ざしていた」 という見方ではなく、江戸幕府が周辺諸国や地域との交流を 「四つの口」 と呼ばれる拠点を通じた交流に制限していたものと見られています。 江戸時代の「四つの口」とは、対オランダ・清の「長崎口」、対アイヌの「松前口」、対琉球の「薩摩口」、対朝鮮の「対馬口」を指します。 このうち「長崎口」は江戸幕府が新たに作り上げたものですが、それ以外は中世以来の長い伝統がある地域であり、江戸幕府の支配に なるまでも「外」の世界との交流の窓口となってきました。 そもそも当時は「国境」というのは現在のように「線」ではなく、「境界領域」と呼ばれる、どちらでもなく、どちらにも属するという複雑な様相を示していました。本講座では中世日本の境界領域である 「琉球」、「蝦夷地」、「対馬」と日本をはじめとした周辺の国との関係を見ていきます。 @7/2 「琉球王国〜万国津梁、守礼之国」 現在の沖縄県は1879年までは琉球王国という別の国家が成立していました。 日本では室町時代中期に琉球王国が成立し、室町幕府や江戸幕府と独 自の外交関係を樹立していました。 江戸時代の経緯から、 琉球王国と密接な関係を持っていたの は島津氏というイメージがありますが、 室町時代には琉球王国は室町幕府と独自の関係を構築 し、お互いに経済的・政治的にメリットを与え続けてきました。特に明からの物資を入手するに は琉球王国は欠かせないパートナーだったのです。 本講座では室町時代において琉球王国が成立す る経緯、室町将軍と琉球国王との関係、島津氏の影響が強まってくる近世への動きを見ていきます。 A8/6 「蝦夷地〜アイヌモシリ(アイヌの大地)」 現在の北海道はその大半が蝦夷地(アイヌモシリ=アイヌの大地の漢語訳) であり、そこにはアイヌが住んでいました。鎌倉から室町時代に は蝦夷管領津軽安藤氏(いわゆる安東水軍)とその末裔、 戦国時代には蠣崎(かきざき)氏、江戸時代には蠣崎氏が改姓した松前氏が道南の和人地に影響力を保持し、アイヌとの関係を築いてきました。 また当時のアイヌは北アジアと日本との中継貿易に携わっており、 今日の一般的なアイヌ像とは全 く違う生活をおこなっていました。 本講座ではアイヌ民族の形成、サハリンや千島列島、さらにはアムール川流域まで活動範囲を広げ、クビライのモンゴル帝国とも戦いを繰り広げたアイヌの姿を見ていきます。 B9/3 「対馬〜倭寇の根拠地」 対馬は政治的には一貫して日本の一部でありましたが、中世に は完全に朝鮮の経済圏に入って繁栄してきました。 そのキーとなったのが倭寇です。 倭寇は対馬・壱岐・松浦の人々による海賊行為というのが一般的な見方ですが、 その中身は北九州の名族 が関与していたり、明の武装商人だったりします。 鉄砲をもたらしたのは明の武装商人である倭 寇の船に便乗してきたポルトガル人でした。朝鮮王朝は倭寇対策に苦慮し、多くの対馬の人々が 朝鮮に定住して朝鮮から利益を得て対馬を支えてきました。 本講座では倭寇の広がり、朝鮮に定 住した対馬の人々の活躍とその結末の一つである三浦の乱など倭寇を取り巻く地域を見ていきます。 ※各回受講できます ※教室からオンライン同時配信します
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信長・秀吉とわたりあった戦国貴族 勧修寺晴豊の日記を読む 番外編(オンライン受講)
『兼見卿記』にみる「本能寺の変」とその後 晴豊と兼見

- 外岡 慎一郎/元奈良大学文学部教授
- 2025/07/04金 〜 2025/09/19金
- 13:00〜14:30
- 全5回
- 会員 15,950円 / 一般 17,600円
前期(2025年4〜6月期)は勧修寺晴豊の日記(『日々記』)から「本能寺の変」の実情とその後の京都の姿を読み解きましたが、今回は晴豊と公私ともに親しく交わり、変後は晴豊とともに朝廷の使者として光秀との交渉の場に臨むなど、晴豊の日記にもたびたび登場した吉田兼見(吉田社神主、公卿)の日記を素材に、「本能寺の変」とその後の京都、公家社会の様相を眺めていきたいと思います。 兼見の日記には家職である神官、神道家としての活動記録が多くみられるのですが、「本能寺の変」がおこった天正10年6月の日記は、神官としての活動記録は皆無で、ほぼすべてが「本能寺の変」とその後の対処にかかる記事で占められます。というのも、兼見は明智光秀との縁が深く、変後の光秀を積極的に支援したこともあって、光秀敗死後は吉田家(吉田社)の存亡にかかわる危機に瀕したことが知られています。6月の日記も二種(二本)伝存し、光秀との関わりなどについては二本で異なる記述も確認できます。晴豊と兼見、それぞれの「本能寺の変」後の姿を、晴豊の日記も適宜参照(復習)しながら読み解いていきます。晴豊の日記の理解もまた、兼見の日記を読むことを通じて深まります。 @7/04 晴豊と兼見 本能寺の変、当日 A7/18 晴豊と兼見 ともに安土で明知光秀に会う、光秀入京 B8/01 晴豊と兼見 山崎合戦、ふたつの日記 C8/29 晴豊と兼見 光秀敗死後の京都で、兼見の窮地 D9/19 晴豊と兼見 兼見、窮地を脱する ★勧修寺晴豊ってどんな人?【動画】⇒ https://youtu.be/a1r9yr9Prlw
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- 見逃し配信あり
- 2025夏クーポン対象
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- 教室(事前選択講座)
信長・秀吉とわたりあった戦国貴族 勧修寺晴豊の日記を読む 番外編(教室受講)
『兼見卿記』にみる「本能寺の変」とその後 晴豊と兼見

- 外岡 慎一郎/元奈良大学文学部教授
- 2025/07/04金 〜 2025/09/19金
- 13:00〜14:30
- 全5回
- 会員 15,950円 / 一般 17,600円
前期(2025年4月期)は勧修寺晴豊の日記(『日々記』)から「本能寺の変」の実情とその後の京都の姿を読み解きましたが、今回は晴豊と公私ともに親しく交わり、変後は晴豊とともに朝廷の使者として光秀との交渉の場に臨むなど、晴豊の日記にもたびたび登場した吉田兼見(吉田社神主、公卿)の日記を素材に、「本能寺の変」とその後の京都、公家社会の様相を眺めていきたいと思います。 兼見の日記には家職である神官、神道家としての活動記録が多くみられるのですが、「本能寺の変」がおこった天正10年6月の日記は、神官としての活動記録は皆無で、ほぼすべてが「本能寺の変」とその後の対処にかかる記事で占められます。というのも、兼見は明智光秀との縁が深く、変後の光秀を積極的に支援したこともあって、光秀敗死後は吉田家(吉田社)の存亡にかかわる危機に瀕したことが知られています。6月の日記も二種(二本)伝存し、光秀との関わりなどについては二本で異なる記述も確認できます。晴豊と兼見、それぞれの「本能寺の変」後の姿を、晴豊の日記も適宜参照(復習)しながら読み解いていきます。晴豊の日記の理解もまた、兼見の日記を読むことを通じて深まります。 @7/04 晴豊と兼見 本能寺の変、当日 A7/18 晴豊と兼見 ともに安土で明知光秀に会う、光秀入京 B8/01 晴豊と兼見 山崎合戦、ふたつの日記 C8/29 晴豊と兼見 光秀敗死後の京都で、兼見の窮地 D9/19 晴豊と兼見 兼見、窮地を脱する ★勧修寺晴豊ってどんな人?【動画】⇒ https://youtu.be/a1r9yr9Prlw
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徳川家康の運命を決めた合戦(オンライン受講)

- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/07/16水 〜 2025/09/17水
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 9,900円 / 一般 9,900円
戦国時代の末期の動乱を勝ち抜き、江戸幕府を開いて戦国時代を終わらせ、太平の世を作り上げた徳川家康はしばしば権謀術数に長けたイメージがありますが、彼が戦国時代を勝ち抜けた要因は卓越した合戦の能力がありました。ただ彼は自ら進んで合戦に臨んだことは少なく、多くは今川義元・織田信長・豊臣秀吉に動員されて戦いに巻き込まれるという形でした。その中で彼が自ら戦闘に乗り込んでいった合戦を取り上げ、合戦に至る過程、家康の用兵の妙、合戦の影響を取り上げていきます。 ※1回受講も可(別ページからお申し込みください) @7/16「天正壬午の乱〜徳川家康、五カ国を支配する大大名となる」 本能寺の変で天下人直前 だった織田信長が横死、織田氏の支配下に入って間がない旧武田領である甲斐・上野・信濃は、旧武田氏遺臣による反乱、隣国の小田原北条氏・越後上杉氏の侵攻により大混乱となります。清洲会議で何とか信長死後の体制を整えた織田家中は三河・遠江・駿河の三ヵ国の大名の徳川家康に武田氏旧領の保全を依頼、家康は北条氏直・上杉景勝との対戦を経て信濃南半分と甲斐の保全に成功、その二カ国を支配下に組み入れ、五カ国を支配する屈指の大大名となり、信長死後の天下人レースに臨むことになります。 A8/20「関ヶ原の戦い」 天下分け目の戦いと言われる関ヶ原の戦いですが、多くの逸話に彩られています。その最たるものが小早川秀秋の裏切りとそれに至る誘い鉄砲です。また関ヶ原の陣立 を見たドイツ帝国軍のクレメンス・メッケル少佐が一瞬で 「西軍の勝ちだ」と言った話も有名ですが、これもフィクションと言われています。 今日有力となっている関ヶ原像は、合戦が始まった段階で調略により東軍が圧倒的優勢であり、戦い自体は一瞬で決着がつき、その後の戦いは潰走 する西軍の掃討戦だったというものです。 本講座では最新の研究に基づき、関ヶ原合戦に至る経 緯とその経過、その後の影響について見ていきます。 B9/17「大坂の陣」 家康は豊臣家を滅ぼすために様々な奸計を用いて豊臣家を陥れ、大坂の陣に至り、さらに夏の陣でも豊臣家を騙して内堀まで埋めた上で用意周到に豊臣家を滅ぼした、と一般的には思われています。しかし事態の推移を詳細に見れば、豊臣家サイドのミス (「国家安康」の鐘の銘)や約束違反(真田信繁ら浪人衆の解散)、豊臣家の天下人への固執 (大和国への転封拒否)などがあり、一方で内堀の埋め立て自体は当時の講和のあり方であり、それにもかかわらず徳川家との講和条件を守らないなど、豊臣家サイドに多くの瑕疵があることが指摘されています。本講座では近年の研究に基づき、大坂の陣に至る過程、その経過、そして大坂の陣の影響である「元和偃武」について見ていきます。
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- 見逃し配信あり
- 2025夏クーポン対象
- 京都教室
- 教室(事前選択講座)
徳川家康の運命を決めた合戦(教室受講)

- 秦野 裕介/立命館大学授業担当講師
- 2025/07/16水 〜 2025/09/17水
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 9,900円 / 一般 9,900円
戦国時代の末期の動乱を勝ち抜き、江戸幕府を開いて戦国時代を終わらせ、太平の世を作り上げた徳川家康はしばしば権謀術数に長けたイメージがありますが、彼が戦国時代を勝ち抜けた要因は卓越した合戦の能力がありました。ただ彼は自ら進んで合戦に臨んだことは少なく、多くは今川義元・織田信長・豊臣秀吉に動員されて戦いに巻き込まれるという形でした。その中で彼が自ら戦闘に乗り込んでいった合戦を取り上げ、合戦に至る過程、家康の用兵の妙、合戦の影響を取り上げていきます。 ※1回受講も可(別ページからお申し込みください) @7/16「天正壬午の乱〜徳川家康、五カ国を支配する大大名となる」 本能寺の変で天下人直前 だった織田信長が横死、織田氏の支配下に入って間がない旧武田領である甲斐・上野・信濃は、旧武田氏遺臣による反乱、隣国の小田原北条氏・越後上杉氏の侵攻により大混乱となります。清洲会議で何とか信長死後の体制を整えた織田家中は三河・遠江・駿河の三ヵ国の大名の徳川家康に武田氏旧領の保全を依頼、家康は北条氏直・上杉景勝との対戦を経て信濃南半分と甲斐の保全に成功、その二カ国を支配下に組み入れ、五カ国を支配する屈指の大大名となり、信長死後の天下人レースに臨むことになります。 A8/20「関ヶ原の戦い」 天下分け目の戦いと言われる関ヶ原の戦いですが、多くの逸話に彩られています。その最たるものが小早川秀秋の裏切りとそれに至る誘い鉄砲です。また関ヶ原の陣立 を見たドイツ帝国軍のクレメンス・メッケル少佐が一瞬で 「西軍の勝ちだ」と言った話も有名ですが、これもフィクションと言われています。 今日有力となっている関ヶ原像は、合戦が始まった段階で調略により東軍が圧倒的優勢であり、戦い自体は一瞬で決着がつき、その後の戦いは潰走 する西軍の掃討戦だったというものです。 本講座では最新の研究に基づき、関ヶ原合戦に至る経 緯とその経過、その後の影響について見ていきます。 B9/17「大坂の陣」 家康は豊臣家を滅ぼすために様々な奸計を用いて豊臣家を陥れ、大坂の陣に至り、さらに夏の陣でも豊臣家を騙して内堀まで埋めた上で用意周到に豊臣家を滅ぼした、と一般的には思われています。しかし事態の推移を詳細に見れば、豊臣家サイドのミス (「国家安康」の鐘の銘)や約束違反(真田信繁ら浪人衆の解散)、豊臣家の天下人への固執 (大和国への転封拒否)などがあり、一方で内堀の埋め立て自体は当時の講和のあり方であり、それにもかかわらず徳川家との講和条件を守らないなど、豊臣家サイドに多くの瑕疵があることが指摘されています。本講座では近年の研究に基づき、大坂の陣に至る過程、その経過、そして大坂の陣の影響である「元和偃武」について見ていきます。
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- 京都教室
- オンライン(事前選択講座)
紅・白・黒――遊女が彩った江戸化粧の真実(オンライン受講)

- 平松 隆円/化粧心理学者
- 2025/07/18金
- 10:30〜12:00
- 全1回
- 会員 3,300円 / 一般 3,300円
紅い唇、陶器のような白肌、艶やかな漆黒の髪――。三色だけで江戸の夜を照らした遊女たちの粧いは、恋と病、教養と階級が交錯したものでした。白粉は梅毒の薬でもあり、髪を自ら結えないことは文字を知らぬのと同じほどの恥とされていました。「色白は七難隠す」ということわざの裏側で、遊女たちは何を隠し、何を誇示していたのでしょうか。江戸時代の遊女の化粧に迫ります。
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- 見逃し配信あり
- 京都教室
- 教室(事前選択講座)
紅・白・黒――遊女が彩った江戸化粧の真実(教室受講)

- 平松 隆円/化粧心理学者
- 2025/07/18金
- 10:30〜12:00
- 全1回
- 会員 3,300円 / 一般 3,300円
紅い唇、陶器のような白肌、艶やかな漆黒の髪――。三色だけで江戸の夜を照らした遊女たちの粧いは、恋と病、教養と階級が交錯したものでした。白粉は梅毒の薬でもあり、髪を自ら結えないことは文字を知らぬのと同じほどの恥とされていました。「色白は七難隠す」ということわざの裏側で、遊女たちは何を隠し、何を誇示していたのでしょうか。江戸時代の遊女の化粧に迫ります。
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- 京都教室
- オンライン(事前選択講座)
京都・奈良怪異ボックス(オンライン受講)
中世の日記や絵画から不思議な物語を読み解く
- 西山 克/京都教育大学名誉教授
- 2025/07/21月 〜 2025/09/15月
- 13:00〜14:30
- 全3回
- 会員 10,230円 / 一般 10,890円
中世の日記や絵画を読み解き、当時の社会の様子に触れていきます。パンドラの箱を開けるように、不思議な怪異の箱を開けてみませんか。 【各回のテーマ】 7/21(月祝) 勅使の見た風景――伊勢参詣曼荼羅とその時代 8/18(月) 神異僧の記憶――法観寺参詣曼荼羅と八坂の塔 9/15(月祝) 独立樹の語り――北野曼荼羅制作の謎 (最終回)
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