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北九州 歴史・日本の歴史(古代)
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5講座中 1〜5件を表示 

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ここが違うぞ 記紀と古墳
九州の遺跡と記事を検証

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  • 宇野 愼敏/前福岡県行橋市歴史資料館館長
  • 2025/04/15 〜 2025/09/16
  • 13:30〜15:00
  • 全6回
  • 会員 21,120円
  •  3世紀後半にヤマト政権が支配することによって九州古墳時代の幕開けとなったとされているが、実際には前方後円墳のすぐ近くに弥生時代の墳丘墓が築かれており、『古事記』『日本書紀』の記事とは齟齬が見られる。なぜそこに齟齬が生じるのか。  実際に発掘調査した九州の古墳および遺跡などから『記紀』の記事の信ぴょう性、記事が書かれた意図、政治的な背景を探り、九州の古墳から見たわが国の古墳時代を再検証していきたい。 (講師・記) 【カリキュラム】   @ 熊襲と日本武尊       日本武尊は景行天皇の第2子である。優しく勇敢な日本男児のようなイメージがあるが、記紀にはおとなし      い兄を殺した気性の激しい人物である。この日本武尊が、南九州の熊襲を退治しに来るという話になってい      る。南九州には、この頃「板石積石室墓」という板石を方形、または楕円形に立て、遺体を入れた後、さらに      板石を弧状に覆いながらドーム天井のように組んでいく墓制が、鹿児島県の西側にある川内川流域に分布      する。また人吉盆地にも箱式石棺墓群があり、何れも群集墓となっている。そうした北部九州の墓制とは異      なる熊襲の実態を明らかにしつつ、日本武尊の熊襲征伐の実態を明らかにする。   A 神功皇后と九州の前方後円墳       前回の「再検証 ヤマト政権と九州―第2回神功皇后と北部九州」では語り切れなかった北部九州の有力      豪族の動向とヤマト政権との関係を、鉄製甲冑の方形板革綴短甲、長方板革綴短甲や鉄鏃類の武器・武具      の分布状況や、初期横穴式石室の導入などからさらに深め、4〜5世紀の中・北部九州の有力首長層は、朝      鮮半島出兵のもとにそれぞれの地域の墓制を変化させ、半島製の出土品を副葬するようになる。そういった      墓制・出土品を中心にヤマト政権との関りを明らかにする。   B 雄略天皇と江田船山古墳       熊本県・江田船山古墳は、鉄製の甲冑など多くの武器・武具とともに金銅製の冠や帽、金製の3連垂飾付      耳飾、金銅製の帯金具、金銅製の飾履(靴)も副葬していた。それらの副葬品は、朝鮮半島出兵との関りと、      ヤマト政権との関りでもたらされたものである。さらに国宝の銀象嵌の大刀は、武官としてヤマト政権に出仕      したことを裏付けるもので、これらの多くの副葬品を分析し、江田船山古墳の被葬者と雄略天皇、ヤマト政権      との関りを再検証する。   C 筑紫君磐井の乱と継体天皇 前回の「再検証 ヤマト政権と九州―第5回石人石馬と筑紫君磐井」では語り切れなかったことを含めて再 検証する。それは北部九州各地域の在地豪族と筑紫君磐井との関係を、各地域の出土品および墓制、すな わち横穴式石室を再検証して明らかにするとともに、石人石馬の形態の分析や装飾古墳の円文・三角文・彩 色壁画の分析を通じて各地域勢力の関係、さらに火の君との関係などを再検証しながら、継体天皇、ヤマト 政権との関係を明らかにする。   D 推古天皇と九州の方墳 前回で扱えなかった終末期古墳の時代、蘇我氏の台頭とともに物部氏の没落といった中央における政治 変動を地政学を含めながら、首長墓の前方後円墳から方墳への変化や、副葬品に畿内系の暗文土師器が 多く含まれるようになる。また地域によっては古墳の築造停止が見られるものの反対に群集墳が密集する 地域もあり、武器・武具の相対的減少傾向など墓制、副葬品、集落など6世紀後半〜末頃から古墳文化の 変化の兆しがみられるようになるなど、そうした変化の政治的背景など北部九州とヤマト政権との関りにつ いて明らかにする。   E 朝鮮半島出兵と終末期古墳 7世紀代を中心に北部九州各地域の終末期古墳や、この時期における群集する横穴墓や積石墓古墳など 墓制の変化や副葬品の相対的減少傾向など7世紀前半代から後半代にかけて徐々に変化がみられる。また 645年の大化の改新、663年の白村江での日本軍の敗退といった東アジア情勢にとっても大きな政治的変動 の時代でもある。そうした政治的な動向に伴う北部九州の古墳文化の変動を見据えながら、ヤマト政権での 政治的変化、日本の歴史の変化を北部九州の古墳動向から明らかにする。    ☆各回申し込みも出来ます。リンクは別にあります。入会金は不要です。   会員の方 3,850円、一般の方 4,620円   *各回受講は、3/10から申し込み受付を開始します。

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日本書紀の世界 −七世紀を読む
七世紀を読む

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  • 亀井 輝一郎/福岡教育大学名誉教授
  • 2025/07/05 〜 2025/09/20
  • 10:30〜12:00
  • 全6回
  • 会員 19,668円
  •  日本書紀は神話・説話・実録的記事を含む内容豊かな書で、古事記とはひと味違った趣があります。東アジア激動の七世紀の天武天皇と持統天皇の時代を中心にみていきます。

    • トライアル可
  • 北九州教室
  • 教室・オンライン自由講座

筑紫君磐井の乱と継体天皇
ここが違うぞ 記紀と古墳

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  • 宇野 愼敏/前福岡県行橋市歴史資料館館長
  • 2025/07/15
  • 13:30〜15:00
  • 全1回
  • 会員 3,850円 / 一般 4,620円
  •  3世紀後半にヤマト政権が支配することによって九州古墳時代の幕開けとなったとされているが、実際には前方後円墳のすぐ近くに弥生時代の墳丘墓が築かれており、『古事記』『日本書紀』の記事とは齟齬が見られる。なぜそこに齟齬が生じるのか。  実際に発掘調査した九州の古墳および遺跡などから『記紀』の記事の信ぴょう性、記事が書かれた意図、政治的な背景を探り、九州の古墳から見たわが国の古墳時代を再検証していきたい。 (講師・記) ☆こちらは、7月受講の方のページです。8・9月の申し込みの方は別リンクよりお申込みください。 【7/15】筑紫君磐井の乱と継体天皇 前回の「再検証 ヤマト政権と九州―第5回石人石馬と筑紫君磐井」では語り切れなかったことを含めて再検証する。 それは北部九州各地域の在地豪族と筑紫君磐井との関係を、各地域の出土品および墓制、すなわち横穴式石室を再検証して明らかにするとともに、石人石馬の形態の分析や装飾古墳の円文・三角文・彩色壁画の分析を通じて各地域勢力の関係、さらに火の君との関係などを再検証しながら、継体天皇、ヤマト政権との関係を明らかにする。

    • 見逃し配信あり
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推古天皇と九州の方墳
ここが違うぞ記紀と古墳

reki_unomasatosi2019.JPG
  • 宇野 愼敏/前福岡県行橋市歴史資料館館長
  • 2025/08/19
  • 13:30〜15:00
  • 全1回
  • 会員 3,850円 / 一般 4,620円
  • 3世紀後半にヤマト政権が支配することによって九州古墳時代の幕開けとなったとされているが、実際には前方後円墳のすぐ近くに弥生時代の墳丘墓が築かれており、『古事記』『日本書紀』の記事とは齟齬が見られる。なぜそこに齟齬が生じるのか。  実際に発掘調査した九州の古墳および遺跡などから『記紀』の記事の信ぴょう性、記事が書かれた意図、政治的な背景を探り、九州の古墳から見たわが国の古墳時代を再検証していきたい。 (講師・記) ☆こちらは、8月受講の方のページです。7・9月の申し込みの方は別リンクよりお申込みください。   【8/19】神功皇后と九州の前方後円墳  前回で扱えなかった終末期古墳の時代、蘇我氏の台頭とともに物部氏の没落といった中央における政治変動を地政学を含めながら、首長墓の前方後円墳から方墳への変化や、副葬品に畿内系の暗文土師器が多く含まれるようになる。また地域によっては古墳の築造停止が見られるものの反対に群集墳が密集する地域もあり、武器・武具の相対的減少傾向など墓制、副葬品、集落など6世紀後半〜末頃から古墳文化の変化の兆しがみられるようになるなど、そうした変化の政治的背景など北部九州とヤマト政権との関りについて明らかにする。

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朝鮮半島出兵と終末期古墳
ここが違うぞ 記紀と古墳

reki_unomasatosi2019.JPG
  • 宇野 愼敏/前福岡県行橋市歴史資料館館長
  • 2025/09/16
  • 13:30〜15:00
  • 全1回
  • 会員 3,850円 / 一般 4,620円
  • 3世紀後半にヤマト政権が支配することによって九州古墳時代の幕開けとなったとされているが、実際には前方後円墳のすぐ近くに弥生時代の墳丘墓が築かれており、『古事記』『日本書紀』の記事とは齟齬が見られる。なぜそこに齟齬が生じるのか。  実際に発掘調査した九州の古墳および遺跡などから『記紀』の記事の信ぴょう性、記事が書かれた意図、政治的な背景を探り、九州の古墳から見たわが国の古墳時代を再検証していきたい。 (講師・記) ☆こちらは、9月受講の方のページです。7・8月の申し込みの方は別リンクよりお申込みください。 【9/16】朝鮮半島出兵と終末期古墳 7世紀代を中心に北部九州各地域の終末期古墳や、この時期における群集する横穴墓や積石墓古墳など墓制の変化や副葬品の相対的減少傾向など7世紀前半代から後半代にかけて徐々に変化がみられる。また645年の大化の改新、663年の白村江での日本軍の敗退といった東アジア情勢にとっても大きな政治的変動の時代でもある。そうした政治的な動向に伴う北部九州の古墳文化の変動を見据えながら、ヤマト政権での政治的変化、日本の歴史の変化を北部九州の古墳動向から明らかにする。

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